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8月18日(土)に小田原城御用米曲輪にて第4次発掘調査の現地説明会が開催されるとの情報を得たので、早速出掛けてみることにした。
当日は、前日からの天気予報どおりに曇天でいまにも雨が降りそうな空模様、念のため折り畳み傘と山城攻め用のポンチョを携行することにした。
今年3月以来の小田原城再訪となる。今回も貴重な発見が相次ぎ南関東の地方紙に大々的に報道され、特に今回は小田原城内で初となる戦国時代の礎石建物の検出と江戸時代の瓦積塀の一部が地中に埋もれた状態で発見されたという。
当日配布されたレジメによりますと、戦国時代の礎石建物は30年ほど前に発掘した際に検出された円礫(丸い川原石みたいなの。)周辺を更に丹念に拡張精査した結果、規則正しく配列された石列が発見された。規模的にはかなり大きな建物で福井県の朝倉氏遺跡の館跡や東京都の八王子城御主殿に比肩する規模のものではないかとの説明があった。
また、瓦積塀は土中に埋もれた状態で発見された例は全国的にもまれであるとして、同様な手法で造られたものに愛知県名古屋市の熱田神宮に織田信長が奉納したといわれる「信長塀」なるものがある。
この塀の由来は、信長が桶狭間の合戦の勝利を熱田神宮に祈願し、見事に大願成就したお礼に寄進されたものだという。
この「信長塀」と京都三十三間堂の「太閤塀」及び兵庫県西宮神社の「大練塀」を「日本三代塀」と称するらしい。
【写真左】 戦国時代の礎石建物の説明風景、説明を担当している学芸員さんは前回と同じ人です。ある見学者の訳の解らない質問にも、にこやかに答えていた。 さすがですね〜。
【写真中】 瓦積塀の発掘状況です。「良く残っていたなあ〜」と感心しっぱなし。この瓦積塀はおそらく土又は粘土を繋ぎとして、その上に瓦を幾重にも積み重ねたように見える。
【写真右】 周辺の位置関係は、写真右端の土壁付近にも規模の小さい瓦積塀があり、大きな切株の左横に【写真中】の塀が見える。 その手前は、この塀に附帯するピット(堀立て穴)で、なんらかの建物をこの塀が囲んでいたものと思われます。 学芸員さんの説明によれば、宗教施設のようなものではないかとのこと。
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