中世城郭紀行
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【守山砦】(守山周辺の史跡)   鬼丸 : 2013/05/11(Sat) 17:53 No.125
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守山砦周辺は5つの遺跡群から構成されていることは前に説明したとおりであります。そこで実際の現地の様子を画像を交えて、ご説明して行こうと思います。

【地図】
http://portal.cyberjapan.jp/site/mapuse2/index.html


【写真左】(北条政子産湯の井戸)
守山の北東鹿の民家の前に現存し、守山北西麓にある北条氏邸跡より少し距離のある場所に位置しています。住宅地の一角にあるので少々見付け難いかも知れませんが、住宅地の入口に「政子産湯の井戸」の石碑が建っているのでそれを目標とするとよいでしょう。

井戸は石造りでそう古いものではなさそうです。おそらく前回記述した「円成寺石」を加工して作られた江戸時代以降のものではないかと思います。いつの時代でしょうか近隣の人々の安産祈念所として信仰が行われていたようです。

【写真中】(伝堀越御所跡)
北条政子産湯の井戸から来た道を戻り、井戸跡の石碑の反対側が「伝堀越御所跡」である。公園整備がされているわけでもなく、ただの広い空地と言った感じ。国指定史跡なので開発行為は禁じられている。史跡整備には莫大な資金が必要なので予算が獲得まで現状維持というところでしょうか。

【写真左】(願成就院)
北条時政が源頼朝の奥州討伐の戦勝を祈願して1189年(文治5年)に建立された。北条氏の氏寺として北条時政、義時、泰時の三代にわたり次々と伽藍が建築され、世界遺産である奥州平泉にある毛越寺を模した構成であると言われていますが、延徳3年(1491年)に北条早雲による堀越御所急襲時に願成就院はほぼ全焼、その後に再建された堂宇も天正18年(1590年)の豊臣秀吉の小田原征伐の際に再び灰燼に帰したとの記録が残る。

現在ある本堂などは、江戸時代に北条氏貞(後北条氏の末裔)によって再興され、棟札から寛政元年(1789年)の建立が確認できる。今年3月に願成就院の運慶作と伝わる仏像5体、阿弥陀(あみだ)如来座像、不動明王と脇侍の二童子(矜羯羅童子と制多迦童子)からなる立像、毘沙門天立像の5体が「国の文化審議会」が文部科学相に答申したとの記事があり、富士山世界文化遺産登録と併せて嬉しい出来事である。

単独表示 政子の産湯井戸.jpg 単独表示 伝堀越御所.jpg 単独表示 願成就院.jpg
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