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今回は、ある方のサイト情報で静岡県の田方郡函南町にある大仙山城を攻城した。この函南町畑毛は温泉地としても有名で「弱アルカリ性単純泉、無色無臭」で「高血圧、神経痛、リウマチ、消化器機能障害、運動機器障害、美肌作用」に効能があるとされています。温泉宿の数はあまり多くはないが「隠れ家的温泉地」といっても過言ではないでしょう。
「増訂豆州志稿」と言われる江戸時代の地歴書よれば「畠山重忠の子畠山六郎重保の城跡と伝えられている。」との記載があり、今年3月に訪れた発端丈山にある三津城と関係する南北朝期の城跡だろうと思い現地踏査を試みた。
現地踏査の前に他の文献資料により情報収集した結果、「図説、駿河伊豆の城(郷土出版)」によれば「西原文書」というのがあり、それによると北条氏忠が西原源太夫に宛てた感状(戦功を称えた手紙)に「西原小屋」の記述が見え、また「小田原衆所領役帳」に「西原善右衛門、百貫文豆州畠郷」とあり、戦国期に西原氏という土豪が大仙山城を築城したものだろうと示唆している。さらに昭和40年代までは土塁や空堀、曲輪跡などが確認できたという記述が付け加えられていた。
また、大仙山の山麓には館館跡(たてやかたあと)と呼ばれる居館跡があり、土塁や曲輪跡などの遺構を良く残している。おそらくこの居館が平時の居住空間であり、大仙山が詰めの城だったのではないだろうか。
【写真左】(金毘羅宮曲輪:仮称) 国土地理院の地形図に大仙山の2等三角点の所在する場所で、金毘羅宮のお社が鎮座している。御椀を伏せた小山でおそらく物見台的な役割を果たしたものと思われる。土塁などの遺構はなく頂上部分は綺麗に削平されていた。南北朝期というよりは戦国期の遺構のように思える。写真中央の白い石が2等三角点の標石です。
【写真中】(金毘羅宮前の堀切?) 金毘羅宮曲輪の登り口の鳥居前の窪み、直観的に堀切ではないかと思う。ここまで登ってきた参道を振り返ると堀底道を歩いて来たような感じもする。おそらく参道は堀底を利用した大手道だったのかもしれない。写真中央部分は土橋であろうか。
【写真右】(本曲輪跡?) 金毘羅宮曲輪を東へ山稜伝いに進むと石碑のある曲輪に到着する。石碑は土塁上に置かれており、この土塁は高さ1m強で古い時代のように感じる。この時点で戦国期と思われる明確な遺構には出会っていない。
つづく
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