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中世城郭紀行

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【親記事】
【大仙山城】(ついに発見)
鬼丸 : 2013/05/21(Tue) 18:34 No.128

「増訂豆州志稿」の後述に「大仙山本城南北5間、東西3間、二丸南北5間、東西8間、同東西8間南北4間、城下から二の丸大手まで7町20間、同じく裏口まで5町20間」とあります。

この記述の数値をメートル法に概略換算してみると以下のようになります。「大仙山本城は南北9m、東西5.4m、二丸南北9m、東西14.4m、同東西14.4m南北7.2mとあり城下から二の丸大手まで829m、同じく裏口まで561m」ということになります。

「図説、駿河伊豆の城(郷土出版)」に、「昭和40年代までは土塁や空堀、曲輪跡などが確認できた。」という記述を信じて、地形の分析と本人の思い込みを足して2で割った結果、この山には絶対に別の城郭遺構があると勝手に思い込み、山中をかなりの時間彷徨った結果、「つ・つ・ついに見つけちゃいました。(笑)」

最初に、曲輪1〜bP堀切〜曲輪2(腰曲輪複数を含む。)〜bQ堀切(二重堀切)〜曲輪3(長土塁を確認)この曲輪3の長土塁はかなり長く伸びていたが、単独行であり地図もコンパスも携行していないので次回に期することにした。

おそらく戦国期の遺構と思われ、西原源太宛の北条氏忠感状にある「西原小屋」に該当する遺構ではなかろうか。

【写真左】
bP堀切、この堀切の左側に削平の甘い曲輪があり、右側はかなり手の入った曲輪と腰曲輪が数段確認できた。

【写真中】
bQ堀切(二重堀切)、この堀切の左側に片堀切1条が確認できた。堀と堀の間隔が4m〜5mほどあるので二重堀切とした。この右手にも更に曲輪がある。堀切左側中央部には虎口らしき開口部も確認できた。

【写真右】
bQ堀切右側の曲輪3にある長土塁遺構、この先を探索したが藪の中で歩数を数え忘れてしまったが、30m以上は続いており途中で直角に近い角度で左に折れていた。これ以上前進すると遭難の危うき目に合うかもと判断して帰路につくことにした。


おわり

単独表示 bP堀切.jpg 単独表示 bQ堀切.jpg 単独表示 3曲輪土塁.jpg
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Re: 【大仙山城】(ついに発見)
黒備え馬賊 : 2013/05/22(Wed) 19:07 No.129

はじめまして。

黒備え馬賊と申します。

大仙山城の遺構発見おめでとうございます。
小生は、「土の古城探訪」サイト管理人の八丁堀さんとは10年来の城友でして昨夜、本人よりメールを頂きこちらのサイトを拝見させて頂きました。
小生も東側の尾根続きの二カ所のピークが、大仙山城ではと思い今年の秋過ぎに計画をしておりました。
その根拠の一つとして、南麓の地名が「北奈古谷」「奈古谷」でしたので、根古屋地名が転化したものだろうと思った為です。

来週末に行ってみます。
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Re: 【大仙山城】(ついに発見)
鬼丸 : 2013/05/23(Thu) 06:41 No.130

黒備え馬賊さん

いらっしゃいませ。このページ担当の鬼丸と申します。

今回発見の直接要因は八丁堀さんの記事を参照した部分が大半を占めております。「北奈古谷」「奈古谷」ですか、良いところに着目されましたね。そこまでは読み切れなかったです。大仙山城の本当の主要部はご指摘のとおり「二カ所のピーク」にあると思われ、今回発見の遺構はその一部であると認識しています。
来週末に攻城予定とのこと、十分お気を付けて下さい。そして更なる新発見を期待します。

今後も情報・意見交換など宜しくお願いします。
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