【親記事】
【新たな発見】(大仙山城再訪)
鬼丸 : 2013/06/06(Thu) 19:12
No.139
|
|
|
先日、城郭関連でお世話になっている八丁堀さんと再々度の大仙山攻城を敢行した。
今回の登城経路は、黒備えさんから頂いた情報により大仙山南西部を起点とする林道を利用して山頂部付近まで前進、そこを後拠として城域内の探索を開始する。
ちなみにこの登城道は軽トラか軽四駆などトルクがあり小回りの効く軍馬が適している。ホイルベースが長く、トルクのない普通車での進入は途中でスタックする可能性が高いことを付記しておきます。
いつもながら行き当たりばったりの私に対して、八丁堀さんの周到な地図と衛星写真を駆使した資料収集、とりわけ卓越した地形観察により、攻撃目標を限定した無駄のない作戦展開となりました。
さわさりながら急峻な大仙山の尾根上に展開する遺構群発見までには熾烈を極め、弦や草に足を取られるのは常で、枯葉という伏兵には「滑る」というおまけ付きでした。
前回記述の曲輪2の北方向に展開する平場とその下にある二段平場の確認と堀切2と堀切1との間にある窪地風の削平地の検討と動線について現地で確認した。
また堀切1に存在する二重堀切のうち片堀切の尾根側での不自然な収束状態に時代的古さが見てとれ、本来二重堀切として普請されたものではなく、もう一方の堀切を普請する際に改修が行われ、そのまま残存させられたものではないだろうか。
八丁堀さんが、地形の事前分析により、金毘羅宮の鳥居前から北側の尾根上に遺構がある可能性を示唆されていたので、この尾根にアタックを敢行する。するとすぐに、平場を確認し一応曲輪遺構として位置付ける。更にそこから尾根を下ると自然地形とも竪堀とも見える場所に出る。
ここから左右に尾根が分岐し、私は右側の尾根、八丁堀さんは左側の尾根を相互に連絡を取りながら前進、右尾根を横方向へトラバースすると眼下に3段の半月状の曲輪遺構を発見、すぐに八丁堀さんをに連絡、到着待って段曲輪ではないかと意見を同じくした。
ここより下部は更に斜度が増し、人の出入りを拒むかのような地形で前進不能状態になるが、これ克服し単独でさらに下方に進むと大岩を介した堀切を発見、半ば滑落気味に下り、堀切を確認すると同時に眼前に土塁遺構と櫓台状の土盛を確認、ここまでの間に確認した削平地とは全く異なる戦国期を思わせる遺構である。
八丁堀さんの到着後に精査を開始、数分後に八丁堀さんが櫓状遺構の基部に石積と考えられる集石の存在と、そこから10m程離れた尾根右部分で井戸跡らしき遺構を発見した。
大仙山頂上部の城郭遺構の鞍部遺構との共通性を感じたが、少々距離があるので八丁堀さんと意見交換の末、単独遺構とし「大仙山北砦」という位置付けをした。
【写真左】 大仙山北砦、土塁状と櫓状遺構です。この土盛りの基部に列をなした石積?と思われる礫群を確認した。
【写真中】 北砦の大岩を利用した切岸と堀切(八丁堀さんの雄姿を後ろから、足元付近が堀切となっている。)
【写真右】 井戸跡と思われる遺構です。この山脚部分には小川が流れており水の確保には不自由さは感じられない。それではこの井戸と思しき遺構はと考えると「中田正光先生著」の「村人の城・戦国大名の城」や「藤木久志先生著」の「城の隠物と戦国誌」の記述が思い起こされる。
たかが山城、されど山城、今回の発見は個人的には「大発見っと思っています。」、専門に研究されている先生方や城郭愛好者がスルーしていた山城、この城に着目された八丁堀さんには深く敬意を表します。 まだまだ、掲載していない画像などがありますが精査の末にアップしたいと考えています。
|
[返信]
[修正]
[削除]
|
【レス記事】
【初めのレスから表示】
Re: 【新たな発見】(大仙山城再訪)
黒備え馬賊 : 2013/06/09(Sun) 12:28
No.147
|
|
|
昨日行った砦は、規模からして尾根上の城郭部は 狭小で物見台、烽火台レベルですが、谷戸状台地の 三段の治水施設を伴った郭を防御すべき施された竪堀や石積みや削平などから土豪レベルでの築城ではなく南に位置する韮山城主、北条氏規 が深く関与していると思われ、下田街道へ通じる間道監視が主な役割と思われます。 また形式から谷戸式城郭でしょう。
詳しくは一度メールアドレスにメールを下さい。 |
[返信]
[修正]
[削除]
|
Re: 【新たな発見】(大仙山城再訪)
鬼丸 : 2013/06/09(Sun) 10:48
No.146
|
|
|
黒備えさん,お疲れさまです。
>竪堀が二カ所とそれに対する腰郭と石積み
大変に興味がありますね。現在、「帝京大学山梨文化財研究所研究報告第5集」の小特集「中世城郭と民衆」を読み込んでいます。
この北砦は軍事的には防御施設、民事的にはアジュール的要素があるように思えてきました。(勝手な妄想ですが。) |
[返信]
[修正]
[削除]
|
Re: 【新たな発見】(大仙山城再訪)
黒備え馬賊 : 2013/06/09(Sun) 09:05
No.145
|
|
|
昨日、大仙山城に行って来ました。 概略は八丁堀さんからメールが送られたようですので、 省かせて頂きますが、大仙山北砦の新たに発見しました遺構は、 竪堀が二カ所とそれに対する腰郭と石積み、更に井戸施設の二段の郭の 奥に5段〜6段の石積みと堀切に通じる通路と井戸施設は、沢を石積みと盛り土による治水施設である事です(*^。^*) 帯郭先端下に半月の腰郭と三日月状の小テラス、更にその先に 削平の甘い郭が二カ所ありました。 以上の事から規模からして西原小屋に該当すると見て良いと思われます。
以上報告まで |
[返信]
[修正]
[削除]
|
Re: 【新たな発見】(大仙山城再訪)
八丁堀 : 2013/06/08(Sat) 12:51
No.144
|
|
|
花散里さん、初めまして、今後ともよろしくお願い致します。
花散里さんのお噂は、鬼丸さんからお聞きしております。今後 ご一緒に訪城など出来ましたら良いと思っておりますので、その時はお願いします。 |
[返信]
[修正]
[削除]
|
Re: 【新たな発見】(大仙山城再訪)
鬼丸 : 2013/06/07(Fri) 17:54
No.143
|
|
|
八丁堀さん、お疲れさまでした。初めて見る遺構はあまりに興奮してしまい。私もノートにメモるのを忘れていました。
花散里さん、いつもながら後詰して頂きありがとうございます。このお礼は関ヶ原でお返しします。(笑)
黒備えさん、レス有難うございます。「城ケ下」にも土塁と思しき土盛りのようなものを衛星写真で確認しました。連続撮影の航空写真があれば、実体視による事前確認が出来ると思うのですが。週末の攻城成果を期待しております。 |
[返信]
[修正]
[削除]
|
Re: 【新たな発見】(大仙山城再訪)
黒備え馬賊 : 2013/06/07(Fri) 07:27
No.142
|
|
|
大仙山城再訪お疲れ様でしたm(_ _)m
八丁堀さんから成果報告並びに画像を送ってもらい拝見しました。 井戸も明確に残っており小さいながらも素晴らしい砦だと思います。 今週末都合が付けば、この砦と地籍名「城ヶ下」背後の尾根続きと更に 北西に下っている尾根も探索しようと思います。 |
[返信]
[修正]
[削除]
|
Re: 【新たな発見】(大仙山城再訪)
花散里 : 2013/06/06(Thu) 22:16
No.141
|
|
|
八丁堀さん
電脳倶楽部システム担当の裏方、花散里と申します。 以後、よろしくお願いいたします。
鬼丸さんとご一緒に次々と新たな発見をされ、喜ばしい限りです^^ 私も、鬼丸さんには数回ご案内いただき、城攻めを経験させていただきましたが、日ごろの運動不足と加齢によってご迷惑ばかりかけているような状況です。 鬼丸さんのご縁によってお近づきになれましたので、他のコンテンツ共々今後ともよろしくお願いいたします。
さて今回、せっかく上記の記事を投稿いただきながら、システムエラーによってご迷惑をお掛けしたことをお詫びいたします。 八丁堀さんが投稿されようとした記事は、ご覧のとおり私が再度代理で投稿させていただきました。 エラーの原因はこれから詳細に調べるつもりですが、まずは代理投稿のお知らせとお詫びまで。 |
[返信]
[修正]
[削除]
|
またまた新発見でしたね!
八丁堀 : 2013/06/06(Thu) 22:06
No.140
|
|
|
鬼丸さん、昨日は大変お疲れさまでした。 また、お土産を頂きましてありがとうございます。 またまた新たな郭や、城を発見出来て有意義な一日でした。 でも、もう少しゆっくり周りを見たかったですね。 少し早く引き上げてしまいましたので、メジャーで郭の大きさを測る事や水の手の反対側の石積みの確認を忘れました。 残念!
水の手は城の規模に比べて二段で立派でしたね! 水の手の後ろの石列があった辺りは小屋掛けの場所と思います。 更に上にも平場状の所が見えましたので、確認をしておけばと後悔しています。 水の手や城は残存状態などから、江戸期位まで維持管理をされていた感じですね。 |
[返信]
[修正]
[削除]
|
|