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中世城郭紀行

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【親記事】
【第4回オフ会】「歴史シンポジウム・イン・静岡」参加
鬼丸 : 2012/11/25(Sun) 20:10 No.104

11月23日〜24日両日、静岡古城研究会主催による「歴史シンポジウム・イン・静岡」に花散里さん、笹丸と私の3人で第4回オフ会を兼ねて参加してきました。

23日は全国的に悪天候が予想されたために日程の入れ替えがあったが、主催者側の適切な判断と緻密な連絡により混乱もなく、有意義な2日間でした。

初日は静岡市内にあるコンベンション施設の「グランシップ」において、大河ドラマや中世史の論文などの執筆で知られる、静岡大学名誉教授「小和田哲男先生」による基調講演、「静岡県の城郭と歴史的背景」や静岡古城研究会よる「静岡県城跡の調査報告」などが
行われ、また昼食後は「薩摩琵琶」による「平家物語、小敦盛二段後半」の生演奏を堪能した。

その後、討論会「知られざる徳願寺山城の追及」と題して、コーディネーターに元静岡放送キャスターの「松野輝洋氏」、パネリストに「小和田先生」と「古城研究会の調査員5名」により活発な意見交換が交わされた。

初日終了後、事前予約した静岡市内のホテルに移動し、ホテルの近くにある「青葉おでん横丁」に出撃、「静岡おでん」をたっぷりと味わい、翌日のための英気を養う。

明けて翌日、晴天とまでも行かないがまずまずの攻城日和、ホテルを後に静岡駅に移動、すでに古城研究会のメンバーが駅構内で参加者のバス乗り場までの誘導をされていた。この日は終始参加者に対
する開催者側のケアーは見事でありました。

今回の攻城目標は、静岡駅〜徳願寺山城〜駿府匠宿〜丸子城〜静岡駅解散という行程、ハイキングくらいのお気楽モードで参加をしたものの、かなりタフな攻城戦でありました。

【写真左】
攻撃開始地点の徳願寺に到着(静岡市駿河区向敷地)
こういう古刹的な風景は堪りせんね。徳願寺境内には「今川義忠公」の奥方「北川殿」の墓所があります。

【写真中】
「北川殿」の墓所、北川殿は北条早雲の姉とも妹とも言われています。

【写真右】
徳願寺より静岡市内を望む、平地との標高差はかなりあります。
中央に流れる川は安倍川、今川家の人質となった徳川家康こと竹千代が、子供たちの石合戦を見て数の少ない方が勝つだろうと予測したという逸話の残る河川です。


つづく。

単独表示 徳願寺山門.jpg 単独表示 北川殿墓所.jpg 単独表示 静岡市内.jpg
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Re: 【第4回オフ会】「歴史シンポジウム・イン・静岡」参加
花散里 : 2012/11/30(Fri) 17:36 No.105

山城と言えば、基本的に「山」の認識はあった積りでしたが・・・
今回の徳願寺城から丸子城への連続踏破は、私の認識を超えたものがありましたね(^_^;)

鬼丸さんの解説にもあるように、雨のため初日と二日目の行事予定が入れ替わり、二日目が攻城となった訳ですが・・・
静岡駅前から、チャーターされたバスでまず徳願寺を目指したのですが、試練はすでにここから(^_^;)
日程が変更となったため、チャーターバスの車種が当初予定より大型のバスになってしまい、目的の徳願寺の遥か下側でバスを降りることになってしまいました。

約30分ほどでしたでしょうか、民家や畑の脇を通り結構な急坂を登って行ったのは。
当然、山々が見えてはいるのですが「どれが徳願寺城跡なんだろう・・・」と口に出して聞いてしまうこと即ち、これから登る山を確認し苦労を想像してメゲてしまいそうなので、ここは疑問を心の奥底にしまいながら黙々と(^_^;)

そうこうしているうちに、受付・スタート地点の徳願寺で小休止。
チャーターバスごとに班分けされ、古城研究会会員を班長として先導・所々での解説をしていただきながら長い長い2日目が幕を開けました。

(思い出して泣きながら)つづく
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