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中世城郭紀行

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【親記事】
【第4回オフ会(その4)】(殿も鬼も泣いた下り坂)
鬼丸 : 2012/12/30(Sun) 17:14 No.109

徳願寺山城〜梵天山〜歓昌院坂〜丸子宿

今回の歴史探訪ウォークには戦後を力強く生き抜いた先輩方が多く参加されていました。とにかく健脚で急な下り坂を物ともせず歩いていました。我々というと日頃の運動不足が祟り途中で、すでに膝が笑い足首が痛む。

途中の山中で軽く昼食を摂り、「歓昌院坂」と名の着く急坂を転がり落ちるように一気に下り丸子宿へ、残るは本日最後のイベントである丸子城の散策、典型的な武田流築城術を駆使した土だけの名城である。

丸子宿に到着の後、山中でバラバラになった陣形を立て直すためにしばらく休憩することになった。同宿では連歌師で有名な「宗長」というお坊さんが庵を結んだ「吐月峰柴屋寺」を少しだけ見学をする。

この「宗長」というお坊さまは刀剣愛好家なら誰でも知っている「初代島田義助」の子で、はじめ今川義忠に仕え、後に連歌では当代随一といわれた「飯尾宗祇」に師事して連歌を学び、京都では大徳寺の「一休宗純」に参禅、その後駿河に戻って今川氏親に仕え、今川家では外交顧問だったといわれる。

ちなみに軍事顧問は今川義元の幼き頃の教育係だった名軍師「太原雪斎」が有名である。この二人が今川氏の最盛期に大きく貢献したことは言うまでもない。

その後「くまさん牧場」という酪農家の営む、手作りアイスクリーム工房にて各自好みのジェラートやアイスクリームを頂く。徳願寺山城攻めのささやかなご褒美となった。


【写真左】
徳願寺山城を下山中の花散里さんと笹丸、晩秋の木漏れ日が妙に哀愁を漂わせ、心なしか無口になり黙々と丸子宿へ向かう。

【写真中】
歓昌院坂の名の由来となった「歓昌院」の山門、駿河三十三観音霊場(駿河一国三十三ヵ所観音霊場巡り) 第13番札所として知られ創建は古く鎌倉時代の嘉禄年間(1225年〜頃)といわれ、室町時代の文明年間(1480年〜頃)に曹洞宗の寺院として再興された。参道左手に羅漢さんが参拝者を出迎える。

【写真右】
今日のご褒美「くまさん牧場のアイスクリーム」グルメ番組でも良く取り上げられる噂のお店だ。濃厚なお味であと味もよい。
このあと本日最後のイベントである「丸子城攻め」が始まる。

(来年に続く。)

今年一年「中世城郭紀行」にご訪問頂きありがとうございました。来年もどうぞよろしく。良いお年をお迎えください。

単独表示 歓昌院坂を下る.jpg 単独表示 歓昌院.jpg 単独表示 ご褒美.jpg
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Re: 【第4回オフ会(その4)】(殿も鬼も泣いた下り坂)
花散里 : 2012/12/31(Mon) 20:37 No.110

今年の1月22日に新企画としてスタートした中世城郭紀行も、鬼丸さんの実地体験を元にした興味深い記事のおかげで無事に年を越すことができました。
よくある紀行物と違い、鬼丸さんの文章は現地の土や草木の息吹を感じられるのが、いっそう迫力を増すのだと思います。

来る新年も、よろしくお願いいたします。
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