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中世城郭紀行

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【親記事】
【小田原城御用米曲輪見学記(その2)】
鬼丸 : 2013/02/24(Sun) 19:06 No.116

今回の現地説明会の目玉は、なんと言っても戦国期の庭園跡の発見であります。昨年夏の現地説明会で、礎石建物が発見され、後北条氏の御主殿跡ではないかなどの報道があり、私自身「出るものが出たか」と驚嘆しておりましたが、今回の説明会では御主殿とするには規模が今一つ小さいので断定するには今後の調査によるところが大であるとのことです。

小田原北条氏の関連の城郭で御主殿遺構が発見されて有名なのは東京都八王子市にある八王子城で、ついで静岡県伊豆の国市の韮山城外郭でも建物遺構が発見されていますが、これらと御用米曲輪発見の戦国期遺構と対比して研究するのも面白そうですね。

庭園跡と判断される材料のひとつに多量の石を使用した「石組みの水路」に「玉砂利の使用」や池の端に造られた「護岸遺構」と庭園内の流水を調整及び処理するためのものなのか「暗渠」に酷似した「石積の方形竪穴」などが地表に姿を現した。

中世城館に附帯する庭園は極楽浄土を意識した「浄土庭園」が多いと聞きます。特に「水流」を使用した「鑓水遺構」は平安時代の浄土信仰の影響を受けた庭園様式と聞き及んでいます。先回記述の「謎の石」の謎解きがこのあたりにあるかも知れませんね。

特に庭園遺構に使われた石は、地元小田原で産する黒い色をした「風祭石」や鎌倉で産する黄色の不整形な「鎌倉石」が使用されているそうです。また、「護岸遺構」や「水路遺構」ではかなりの数の「五輪塔の火輪部分」が使用されていたのを確認することができました。

五輪塔の他の部分が見つかっていないので、なぜに「火輪部分」だけを使用したのか謎である。私的に考えるに、庭園の「水」の対になる「火」を意識した、中国の風水のように「運気向上・武運長久・家内安全」などといった呪術的な意識が働いていたのかも知れませんね。

今回発掘された「五輪塔の火輪部分」は五輪塔約70基相当と言われています。簡単に言えばお墓若しくは供養塔が約70基ということなのでしょうか。この五輪塔の主は南北朝期の足利尊氏と新田義貞との戦い時の将士ものか、あるいは応永23年の上杉禅秀の乱に関連した戦没者のものかといろいろと想像力(冥想かも知れない。)を掻き立ててくれます。

つづく。・・・かも?

【五輪塔】について詳しく解説されています。
http://www.bukkyo.net/tisiki/5rinto.htm


【写真左】 石組み水路跡
【写真中】 護岸遺構(四角い石が五輪塔の火輪部分)
【写真右】 暗渠風な石積の方形竪穴

単独表示 .jpg 単独表示 .jpg 単独表示 方形竪穴.jpg
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