[掲示板に戻る] [一覧表示に戻る] [ツリー表示に戻る] []  [前画面に戻る]

中世城郭紀行

- 記事No. 121 の全体表示です。返信フォームから返信出来ます。 -

【親記事】
【掛川古城】(静岡県掛川市)
鬼丸 : 2013/03/24(Sun) 09:23 No.121

龍穴峰砦を見学後、帰りの電車までかなり時間があったので、以前スルーしてしまった掛川古城に寄ることにした。

掛川古城は室町時代の応仁の乱を前後して、地方の守護大名同士の紛争が目立って増加した時期に駿河国守護であった今川氏により遠江国の支配拠点として文明年間(1470年代)重臣の朝比奈中守泰熈に築城させたもの。

反今川勢力を遠江国から一掃し今川氏の勢力拡大に伴い防備増強の意図に永正10年頃(1513年頃)、泰熙の子泰能が古城の南西方の龍頭山に新城を築城しますが、これが現在の掛川城です。

掛川古城は、標高48mの独立丘陵である龍胴山、通称子角山(ねずみやま)に東西約400m、南北約300mの規模で築かれた城郭で一部は近年の開発で改変が進んでいますが、主郭、大堀切、東曲輪、腰曲輪の一部が残り往時の姿を留めています。

主郭には「龍華院大猷院霊屋」という、明暦2年(1656年)、当時の掛川城主北条氏重により3代将軍徳川家光の冥福を祈るため建てられ、現在の霊廟は文政5年(1822年)に再建されたものながら静岡県指定有形文化財に指定されています。
(現地案内版より。)

この霊屋の背後と東側には土塁が良好に残り、東側の土塁の外はこの城一番の見どころ大堀切を見ることが出来ます。

東曲輪は公園化され広場と築山がある程度ですが、大堀切側には埋没していますが土塁の痕跡を確認できます。この曲輪の北側隅に現代の子供たちによる「秘密基地」が造られていました。

主郭西側には、現在墓地になっていますが腰曲輪の遺構が確認することができた。


【地図】
http://www.mapion.co.jp/m/34.777820_138.017486_9/?wgs=1


【写真左】
主郭にある「龍華院大猷院霊屋」静岡県指定有形文化財に指定されています。この霊屋の背後と右側に土塁が良好な
状態で残されています。

【写真中】
霊屋右側にのこる土塁です。龍華院の境内にあるため良く手入れがされていました。

【写真右】
掛川古城の一押し遺構「大堀切」です。
敵の侵攻に対し主郭と東曲輪への敵の侵入を阻止するための遮断設備、或いは籠城兵力に対して各種事態に対応するための時間的余裕を獲得するためのものと考えられ、現在では多少の埋没はあるものの当時の現況をそのまま伝える貴重な遺構と言えます。

単独表示 1-霊屋.jpg 単独表示 2-土塁.jpg 単独表示 3-大堀切.jpg
[返信]
[修正]
[削除]


返信フォーム
お名前
Eメール
タイトル
メッセージ URLの自動リンク無効
URL
添付File (返信時はファイルを添付出来ません)
暗証キー (英数字で8文字以内)
文字色
クッキー クッキー情報を記録しない
プレビュー 確認する
投稿後このスレッドに戻る

修正・削除
NO: PASS:

 [標準/一覧/ツリー]  []