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中世城郭紀行

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【親記事】
【守山砦】(静岡県伊豆の国市)
鬼丸 : 2013/04/19(Fri) 18:39 No.123

桜も散り初夏を思わせるよう陽気に誘われ、静岡県伊豆の国市にある「守山砦」を攻城した。新東名高速や伊豆縦貫道が整備されたお蔭で伊豆半島へのアクセスは便利になりましたが、車両移動では駐車場の確保などが面倒なので、今回は「伊豆箱根鉄道駿豆線」通称「いずっぱこ」を利用することにした。

【地図】
http://www.mapion.co.jp/m/35.045606_138.938444_8/?wgs=1

駿豆線の韮山駅を下車し南西に約1q、30分から40分程度歩くと標高約100mの独立した山の麓に辿り着く。これが守山砦で、天正18年(1590年)の小田原の役に際して、北条方の西の防衛拠点となった韮山城を攻略するため、豊臣方の付城として構築されたと言われる。

守山から韮山城を含む一帯は「伊豆韮山中世遺跡群」として知られており、最近では守山山麓にある願成就院(国指定史跡)という古刹に所蔵されている「運慶作」の仏像が国宝に指定されている。

この守山一帯は5つの遺跡からなり、その大部分が国の指定を受けており、そのうち一番面積が広い遺跡が「御所之内遺跡」で、鎌倉時代の執権北条氏の伊豆在地時代の館跡である「史跡北条氏邸跡(円成寺跡)」や室町時代の堀越公方の在所であった「伝堀越御所跡」があり、また遺跡内には「北条政子産湯の井戸跡」や前述の願成就院には「北条時政」や「足利茶々丸」の墓所がある。

城歴については詳らかではないが、城砦としての初期段階は堀越御所の詰めの城として機能したと思われるがどうであろうか。
堀越御所の名を一躍有名にしたのは「伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)」の足利茶々丸追討のための堀越御所への急襲である。
これ以降、北条早雲は伊豆平定に乗り出し小田原北条五代の基礎を作り上げることになるが、詳細は別の機会にお話しすることにしよう。

天正18年(1590)4月、豊臣方が小田原城攻略の一環として韮山城包囲作戦を展開させる。この時、守山砦は豊臣方の付城のひとつとして機能し、山麓の願成就院には豊臣方総大将「織田信雄」が戦闘指揮所(陣所)を置いたとされる。守山砦を普請したのは「森忠政(従四位上左近衛権中将)」の手によるとされ森勢約2100名が在陣した。

守山砦には遊歩道が整備され二か所の入口がある。その一つは守山西公園で、山の西側で狩野川沿いにあり駐車場も完備されている。
もう一つは願成就院の前にある路地を南に向かい信光寺というお寺の脇から登るルートがあるが、利便性を勘案すると守山西公園からの攻城をお奨めする。

(次回に続く・・・予定)

【写真左】
狩野川左岸より守山砦を望む。一番高い場所が本郭と思われる。この左手平地部に北条氏邸跡と堀越御所跡の遺跡が展開する。

【写真中】
守山西公園から山頂に至る遊歩道、整備されすぎて旧態を確認するには想像力を発揮する以外ない。言い換えれば、かなり改変されているように思えるが、所々に曲輪状の平場が確認できた。

【写真右】
山頂から韮山城方向を見る。高層建物が中央付近に2棟確認できるが、その建物の中間に木立に覆われた小山が韮山城で、そのすぐ右手の山が天ケ岳城砦群である。

単独表示 守山砦全景.jpg 単独表示 遊歩道.jpg 単独表示 韮山城遠景.jpg
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