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中世城郭紀行

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【親記事】
【天空の山城:高根城】(静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方)
鬼丸 : 2013/06/09(Sun) 17:33 No.148

静岡県と長野県の境に近い、静岡県浜松市天竜区水窪町にある高根城を訪城、昨年開通した新東名高速道路のお蔭で、北遠地方へのアクセスが容易になりました。と言うものの「浜松浜北IC」を降りてから国道152号線(別名:秋葉街道)を1時間以上も北上しなければならない。

経路途中には「二俣城」や「鳥羽山城」などがあり、まさに中世城郭街道と言えましょう。城郭以外のガイドブックによれば「平家の落人伝説」などが残る、山深いが歴史深い場所でもあります。

【地図】
http://www.mapion.co.jp/m/35.149886_137.867139_8/?wgs=1

高根城跡は、水窪町の東南端の久頭合山の山頂、標高420mに位置にあり、南北朝時代に後醍醐天皇の孫伊良(ゆきよし)親王を守るためにこの地の豪族である奥山金吾正定則が応永21年(1414年)に築いたとの伝承が残っています。
ちなみに「奥山金吾正 」の「金吾」は「中国漢代に宮中の警備や天子の警護を務める武官の官職名の唐名で日本では衛門府に相当」します。

現地案内版によれば、応永二十一年、奥山金吾正並びに諸士が伊良親王を守護して、周智郡奥山に仮宮を建てたことが始まりとされる。(中略)

その後奥山氏は16世紀前半の永正から大永年間に(1504年〜28年)頃に駿河守護の今川氏の配下に組み入れ、北遠江の全域を支配下としている。永禄年間(1558年〜70年)後半、今川家が凋落傾向にをたどると、奥山氏内部で今川・徳川・武田への帰属を巡って内紛が勃発、城は落城したと考えられる。

元亀初頭から天正年間にかけて武田氏が遠江侵攻戦を開始、武田信玄・勝頼父子によって大改修され、国境を守る橋頭堡とされたが、武田氏滅亡とともにその使命を終えていると結んでいます。

城跡は規模はそれほど大きなものではないが、コンパクトに纏められ、各所に武田流の築城術を粋を垣間見ることができます。
特に三の曲輪と城外を区切る二重堀切と土塁のセットは圧巻であり、また当時の様子を忠実に伝える復元家屋や門などは一見の価値ありです。


【写真左】
高根城本曲輪遠景、天空の山城と勝手に呼んでいますが、後ろの山々とのコラボレーションが絶景です。一番高い建物の井楼櫓は、形だけを復元するだけではなく、釘を使わずに楔(クサビ)を使い当時の工法で造られているとのことです。

【写真中】
高根城二重堀切を横から土塁を中心に撮影、もう少し後ろから撮影したかったが崖だっため断念しました。

【写真右】
城内の仕切門、大手門の広場と本曲輪中心部を仕切る門です。写真には写っていませんが「大きな蜂」が周囲をブンブンと飛んでいました。刺されはしませんでしたが、まるで外敵をけん制するかのようでした。(笑)

単独表示 高根城本曲輪.jpg 単独表示 高根城二重堀切.jpg 単独表示 高根城仕切門.jpg
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