【親記事】
【大洞若子城】(静岡県浜松市天竜区佐久間町相月字向皆外)
鬼丸 : 2013/06/20(Thu) 13:51
No.149
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奥山氏の一族・奥山加賀守定吉が築いたといわれる山城で、水窪川及び大洞沢に挟まれた小高い山に築城されている。この山の山頂を本曲輪とし、比較的新しいお社が鎮座している。南北12m、東西10mのコンパクトな曲輪であるが背後には大きな岩が散在しており、それらが天然障害となり要害さを増している。本曲輪の位置からは、前回紹介した高根城方向が眺望できるが視界は狭く、眼下には根小屋と思われる「向皆外」の集落が望める。
本曲輪から南南東に向け130mの狭い屋根が続く、山頂から南へ約50mほど下ったところに尾根を遮断する二重堀切がある。 この二重堀切は、一つ目の堀切と二つ目の堀切とはかなりの段差があり、二重堀切というよりは二段堀切の呼び名が適当ではないだろうか。
更に尾根を進むと小高い削平地に辿りつく。南側は人工的に削平が行われた痕跡が残り腰曲輪状の平場を形成している。更に進むと一条の堀切があり、そこから急傾斜の登りとなることから、この堀切を境に城外と城内を区分できると思われる。実際にこの急傾斜地のピークまで行ってみたが遺構らしきものはなかった。二重堀切や曲輪の配置状況が高根城を縮小した感じの小規模な縄張りである。高根城同様に武田方の改修が行われたかもしれない。
【若子城の現地案内板】より。 「むかし、この大洞山のふもとに若子城というお城がありました。戦国の頃、その若子城主の奥山加賀守は、兄弟の戦いに敗れ兄の定茂の手によって城から追い出されてしまいました。(以下略)」
戦国時代は下剋上の時代と言われていますが、親兄弟での家督や所領争いが原因の戦は、全国各地で行われていたようで、この遠州の山あいの地も例外では無かったことが理解できます。
【地図】 http://www.mapion.co.jp/m/35.133242_137.864306_8/?wgs=1
【写真左】 若子城大手口付近にある大岩、岩は食違い状になっていて、当時も虎口として利用した可能性が高い。神話や昔話に出てくる「鬼の岩戸」を連想させる。自然物の大岩などを障害構成に利用した例は全国的にも多いが、これだけ大きな岩が虎口となれば寄せ手も圧倒されてしまうだろう。
【写真中】 本曲輪にあるお社、中には奥山加賀守定吉を祭る石碑がある。お社の背後は岩場となり天然の切岸となってに谷へ落ちている。 足元は浮石もあるなどかなり不安定である。とても危険なので近寄らない方が無難です。
【写真右】 二重堀切、手前の堀切は幅約7m深さ約5mの規模で、その背後にこれより小さな堀切がある。この堀切のある尾根の右手には大手道と思われる道があり、この道に対して横矢が掛かるような縄張りとなっている。
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