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中世城郭紀行

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【親記事】
小島陣屋(静岡県静岡市清水区)
鬼丸 : 2012/06/16(Sat) 22:12 No.79

今回ご紹介するのは、中世城郭ではなく近世の陣屋であります。静岡県静岡市清水区小島本町構内・小島町字桑原にある小島陣屋です。攻城時当日は梅雨の合間の好天に恵まれ絶好の日和となりました。

伊豆の「狩野川」とともに鮎の友釣りで全国的に有名な「興津川」の右岸の河岸段丘上に位置し、陣屋のすぐ脇には甲州に通じる身延道(現国道52号線)が通っています。

江戸時代の駿河国は以外にも藩というものが少なく、県東部の沼津藩と県中部の藤枝田中藩くらいのものでしたが、宝永元年(1704年)に、ここ小島に松平信治(瀧脇松平家:三河十八松平家のひとつ。)が陣屋を構えたのが小島藩の始まりで、明治維新までの164年間、周辺の三十カ村を支配する一万石譜代大名の陣屋として藩政の本拠としました。

陣屋という位置づけは、鎌倉時代には合戦における兵士の臨時軍営又は地頭の役所を陣屋とも呼んでいたようで、江戸時代には、2万石から3万石の城を持たない大名の政庁兼居所・蔵を意味する言葉となり、軍事上の拠点ではなく民事政策上の拠点で、今でいう都道府県庁みたいなものです。

小島陣屋は、明治維新後に新設の駿府藩に引き渡され、駿府藩(静岡藩)の小島役所、私塾包蒙舎教場、小学校校舎などに利用されていましたが、昭和初期に建物は解体され土地は民間に払い下げらました。この時、御殿書院建物は移築され、小島公会堂として利用されていましたが、現在は文化財資料館になっています。

一般の陣屋と異なり、表門が枡形の構えであり城郭を思わせる石垣が良好に残っているなど江戸時代中期における大名陣屋の在り方と構造を知る上で貴重であるとして、平成18年7月28日に国指定史跡に指定されました。


【地図】
http://www.mapion.co.jp/m/35.088012_138.513097_9/?wgs=1

【アクセス】
JR興津駅よりしずてつジャストラインバス三保山手線で「栗原」下車、徒歩10分
またはJR清水駅よりしずてつジャストラインバス三保山手線 「小島」下車

興津駅より旧身延道へ徒歩1時間20分


【写真左】
小島陣屋案内板です。全体の様子を把握できます。

【写真中】
枡形門の虎口です。まるで近世城郭の大手門と見間違えるほどですが、やはりコンパクトに出来ています。

【写真右】
日本の他の名城にも負けない石垣の曲線美、城好きには堪りませんね。

単独表示 小島陣屋案内板.jpg 単独表示 小島陣屋虎口.jpg 単独表示 小島陣屋石垣.jpg
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Re: 小島陣屋(静岡県静岡市清水区)
花散里 : 2012/06/21(Thu) 23:26 No.81

まだ、勉強を始めたばかりなので、見当違いだったら申し訳ないのですが・・・

写真中の虎口脇の石垣と写真右の石垣は、造られた時代が違うのでしょうか?
写真中のものは自然石に最小限の加工を施しただけに見え、写真右のものは明らかに加工の跡が見えます。

写真中のものが中世のもので、写真右のものは近世のもの、と見て良いのでしょうか?
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Re: 小島陣屋(静岡県静岡市清水区)
鬼丸 : 2012/06/22(Fri) 21:56 No.83

お城を構成する基本的な要素に天守閣、石垣、堀などがありますが、天守閣が築かれ石垣が多様されるようになったのは戦国末期からで織田信長の安土城を代表とします。

日本刀で言えば「新古境」と言われる時期にあたり土木技術の発達と相まって、西日本の織田・豊臣方の武将の多くが権勢を誇るため、支配地域に大規模な石垣建造物を建築した。これをお城の世界では「織豊系城郭」と呼んでいます。

石垣にも種類があり、石材の加工状態から3種類、積み方から4種類に大別できます。

石材の加工状態で、全く加工しないか一部を加工して造られものを「野面(のずら)積み」、石材の接合面をお互いに加工したものを「打ち込みハギ」、石材全体を綺麗に加工したものを「切り込みハギ」と分類します。

積み方から横方向の目地が綺麗に揃う「布積み」、横目地が通らずバラバラなものを「乱積み」といいます。その他に江戸中期以降から見られる「谷積み」や城郭にはあまり用いられない「亀甲積み」などがあります。

織豊系城郭の多くは圧倒的に「打ち込みハギ」が多く、それ以前の中世城郭で石垣のあるものは「野面積み」が主流であり、関ヶ原の合戦前後からは「切り込みハギ」が多用されます。

しかしながら、加工状態や積み方から時代を特定するのは少し無理があります。土地によっては石垣に適する石材がなく海や河原の丸い石を石垣にした城郭もあり、また藩(築城主)の経済状態も大きな要因となります。5月に紹介した浜松城の石垣は、幕末に修復されたもので野趣溢れる「野面積み」になっています。

さてご質問の石垣ですが、写真中は「野面積みの乱積み」に見え古色を窺わせます。写真右は「切り込みハギで谷積み」のように見えます。また積み方4種の変形で矢筈積みというのがあり、これにも見えます。

ご質問の答えですが、両写真とも同じ時期に普請されたものです。1万石の小藩では大普請だったのでしょう。手を抜くところは抜いて、藩主の御殿周りは堅固な石垣を採用しています。

後に小島藩では、たびたび百姓一揆が起り、藩の経済が困窮していたことが歴史資料から分かります。
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Re: 小島陣屋(静岡県静岡市清水区)
花散里 : 2012/06/24(Sun) 22:43 No.84

鬼丸さん、教えていただきありがとうございます。

同じ時期に普請されたものでも、必ずしも形式が同一ではないということですか。
現在と違い重機などもなく、すべては人手による大規模な土木工事ですから、我々が後から考える以上に様々な事情があったのでしょうね。
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