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中世城郭紀行

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【親記事】
小島陣屋(その2:龍津寺)
鬼丸 : 2012/06/19(Tue) 20:51 No.80

先日紹介しました小島陣屋跡の南東に、三代目小島藩主松平昌信公の墓所がある臨済宗妙心寺派の龍津寺があります。

【地図】
http://www.mapion.co.jp/m/35.082013_138.513639_8/?wgs=1

創建の詳しことは分かっていませんが、天文十五年(1546年)に今川家の軍師と言われる「雪斎禅師」が再興し、江戸時代には小島藩松平家の香華寺として藩主の庇護を受けました。

このお寺には、臨済宗中興の祖と言われる「白隠禅師」自筆の達磨像や仏教天文学で使用された「須弥山儀(国内現存数7個)」という珍しい品が寺宝としてあり、他に江戸時代中期に流行した大人の絵本「黄表紙(黄双紙)」で知られる「恋川春町」(100石取りの小島藩士で本名は倉橋格)の墓所などがあります。

小島藩は一万石という小藩で財政も厳しく、また幕府の規定した軍役令では一万石に対して家臣を235名抱えなければならい規定があり、「安政分限帳(役職や石高を記載したもの)」記載の小島藩士の数は102名しか居らず、足りない分は在地の農民から譜代足軽として雇って人数合わせをしたという。


【写真左】
龍津寺山門、禅宗のお寺という感じがします。山門の扁額には前出の白隠禅師の落款が押されている。

【写真中】
三代目小島藩主松平昌信公墓所、墓碑には「楞伽院殿 従五位 前房州刺吏 圓入止觀大居士」とあります。
「前房州刺吏」とは「前任の安房の守」という意味で「刺吏」とは中国の官位で、そのほかに「太守」などがあり、高位の武家の法名号などに添えられた例が多い。中国の官職を用いるのが、当時としてはステータスだったのか。

【写真右】
境内に可愛らしく置かれていたお地蔵さん。こういうのを見ると「ほのぼの」としますね。

単独表示 山門.jpg 単独表示 墓所.jpg 単独表示 境内.jpg
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Re: 小島陣屋(その2:龍津寺)
花散里 : 2012/06/21(Thu) 23:41 No.82

写真右のお地蔵さん、いいですねぇ。

おそらくご近所のお年寄りによるものかと思いますが、地蔵和讃にあるように一般的には幼子の守り神と受けとめられていますからね。
守り神の労をねぎらったものか、守り神に託したものか、いずれにしろ、このような素朴な信仰のあり方も好ましいですね。
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