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中世城郭紀行
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韮山城(静岡県伊豆の国市)   鬼丸 : 2012/05/12(Sat) 20:13 No.62
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今回ご紹介するのは、静岡県伊豆の国市(旧田方郡韮山町)にある韮山城址です。

【位置】
http://www.mapion.co.jp/m/35.054372_138.956389_9/?wgs=1

ここ伊豆韮山は、日本中世史の初めと終わりに深く関わり合いを持つ土地柄であります。

韮山城址のすぐ近くには、かの有名な「源頼朝公」が配流された「蛭ケ小島」、鎌倉幕府執権北条一門の遺跡や室町時代の関東公方家の御座所の一つ堀越公方の御所跡、幕末江戸のお台場砲台構築に寄与した「江川太郎左衛門公」を輩出した江川氏邸宅など学生時代に日本史の授業で一度は耳にした記憶のある地名や史跡が豊富な地域です。

【概要】
韮山城の築城年代には諸説あるが、北条五代記によれば、文明年間(1469年〜1468年)に堀越公方・足利政知の家臣富山豊前守が築城したのが始まりとされる。延徳三年(1491年)に堀越御所の足茶々丸を急襲し、伊豆平定を目論む伊勢新九郎盛時(通称・北条早雲)によって本格的な改修が行われ、小田原に勢力基盤確立後は小田原城を息子氏綱に譲り隠居の地として、ここ韮山城に留まり永正十六年(1519年)八十八歳で生涯を終えました。

早雲没後も小田原北条氏の伊豆統治の拠点して存続し、天正十八年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐では、蜂須賀家政、前野長康ら4万4千人の豊臣の軍勢を敵に北条氏政の弟氏規が約3千人の兵力で史上に残る約100日間にも及ぶ篭城戦を展開したのは有名です。韮山城周辺には、この時築かれた豊臣方の陣城(付城ともいう。)が今でも残り、平成十九年には静岡県の埋蔵文化財として新たに追加登録されました。
小田原開城後は徳川家康の家臣、内藤信成が入城しましたが、関ヶ原合戦の翌年慶長六年(1601年)に廃城となる。

韮山城跡は、田方平野の東に位置する龍城山(通称天ヶ岳)の尾根筋の一つに築かれており連郭式丘陵城郭で、本城を中心に和田島砦・天ヶ岳砦・江川砦を配する一大城砦群で現在でも土塁や堀切などの遺構が良好に残されています。本城は中央に本丸、北に権現曲輪、二ノ丸、三ノ丸と続き、本丸の南には、塩倉と煙硝蔵が現存しています。現在、城池から本城地域は散策路が整備され軽装でも散策が可能です。

城外平地部には御座敷と呼ばれる地名が残り、城主の館と思われる遺構が近年の発掘で確認されています。
発掘の際に本城との間に水濠が確認されおり、この水濠は主城の西から北を廻り、城池(写真左)までほぼ半周しており、城池も堀の機能を持っていたと思われます。

今回は、本城〜天ケ岳砦〜本立寺陣城を攻城し、最後は江川邸と同邸の庭園を散策しました。


【アクセス】 
公共交通機関: 伊豆箱根鉄道で韮山駅下車、蛭ケ小島の前を通り徒歩15分〜20分
自 家 用 車  : 国道136号線、八坂神社交差点を東へ約2km(東名高速沼津ICより約40分)
駐 車 場    : 江川邸駐車場を利用(無料:土日祭日には、ボランティアガイドさんがいます。)


【写真左】(韮山城と城池)
右の小山が韮山城本城、左の山が天ケ岳砦で手前が城池です。野鳥や小動物のサンクチャアリとなり、休日にはウォーキングを楽しむ人で賑わいます。

【写真中】(韮山城本丸)
この日は皐月晴れの良い天気でした。ここに落ちている「松ぼっくり」は棘(とげ)が鋭く武器になる。素手で握ることは痛くて出来ない。画像は後日公開予定

【写真右】(くの一参上)
天ケ岳砦攻城中の笹丸、脇にある登坂用の虎ロープを手に取らずに、忍者刀(杖)一本でシャカシャカと登る。源平合戦の巴御前を彷彿させる。この手の女性には素直に従った方が得策である。あとで痛い目を見るから(爆)

北条早雲の法名「早雲寺殿天岳宗瑞公大禅定門」の天岳はこの天ケ岳に由来するものと言われています。

単独表示 DSCF0002.jpg 単独表示 DSCF0011.jpg 単独表示 DSCF0040.jpg
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Re: 韮山城(静岡県伊豆の国市9   花散里 : 2012/05/12(Sat) 20:49 No.63

韮山城は、すぐ近くを車で通過したことはありますが、立ち寄ったことはありません。
おっしゃるとおり、静岡県は歴史の遺産が豊富ですね。
また、整備に力をいれているようで、羨ましい限りです。

おっと、笹丸さんまでご登場ですね(^^)
巴御前に例えるのは良いのですが、くノ一に例えるのはどうでしょうかね〜(^_^;)
酔っぱらって先に寝ると、顔にいたずら書きをされるかも知れませんよ(^_^)/
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【番外編】(静岡県磐田市】   鬼丸 : 2012/05/04(Fri) 19:18 No.58
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画像投稿掲示板で「藤の花」の話題で盛り上がっていますので私も「藤」の話題をひとつ。
GW初日の4月28日に静岡県磐田市にある見附端城と一言坂古戦場を訪ねたついでに訪れた、同市池田にある行興寺(豊田熊野記念公園)にある推定樹齢800年、国指定天然記念物「熊野の長藤」ををご紹介します。

ここ行興寺には謡曲「熊野(ゆや)」で有名な熊野御前(ゆやごぜん)の墓があり、国と県指定の天然記念物のフジが合わせて6本あります。

御前が植えたとされるフジは樹齢800年を超えて老木の貫禄を感じさせます。フジの寿命は長く、老いても1.5メートルにも達する紫の花房は圧巻です。まさに名に恥じぬ見事な装いだと感銘を受けました。今月6日まで熊野記念公園及びその周辺で色々なイベントが開催されるそうです。

「熊野(ゆや)」の長藤の由来は以下のとおりです。

平安の頃、池田の宿に、花のように美しく優しい熊野という娘がおりました。見付の国府に赴任していた平宗盛に見初められた熊野は、やがて都へ上って行きました。
宗盛と幸せな日々を送っていた熊野のもとに、ある日、母の病の報せが届きます。池田へ帰りたいという熊野の願いを、しかし宗盛は愛するあまり放しがたく、聞き入れてくれません。
春、桜見物の席で、熊野は、「いかにせん、都の春も惜しけれど、なれしあずまの花やちるらん」(都も離れがたいが、故郷で命を散らそうとしている母が心配です)と詠み、その心に打たれた宗盛はついに別れを決心するのでした。
母娘は、再会を喜びましたが、母の命は長くありませんでした。まもなく愛する宗盛の戦死と平家滅亡を聞いた熊野は、尼となり静かに生涯を終えました。
熊野が祈りを捧げた庵のあとの行興寺の庭には今も母のために熊野が植えた藤の花が、毎年長い花房をつけています。

(豊田町発行「熊野御前」より)

【アクセス及び詳細はこちらから】

http://www.sci-iwata.or.jp/kanko/nagafuji.html


【写真左】
行興寺に残る樹齢約800年の天然記念物の藤の古木、貫禄を感じますね。

【写真中】
藤の紫の花房、あたり一面に藤の良い香りが満ち溢れていました。

【写真右】
熊野御前と母君の墓、余り良く撮影出来ませんでした。

単独表示 熊野の木.jpg 単独表示 藤.jpg 単独表示 熊野.jpg
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Re: 【番外編】(静岡県磐田市】   花散里 : 2012/05/05(Sat) 00:30 No.59

淡い紫色と長く房状に垂れ下がった花は、古く万葉集の時代から日本人の好みであったと見えて藤をデザインした家紋は150種類以上あるそうです。
他にも、鬼丸さんの投稿もあるように、長寿で繁殖力が強いことも好まれた理由であったでしょうし、権勢を誇った藤原氏との関係性もあるのでしょう。

このような自然に囲まれて育つと、武人と言えども風雅な心根を必要とする風土が育つのでしょうか?
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Re: 【番外編】(静岡県磐田市】   波平 : 2012/05/05(Sat) 00:33 No.60

鬼丸さん、女性と花にまつわる伝説は古今東西にかくも多いものですね。北条・徳川・武田に加え、平氏のもの悲しくも美しい言い伝えはいろいろと想像を刺激されます。 [返信]
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Re: 【番外編】(静岡県磐田市】   鬼丸 : 2012/05/06(Sun) 08:26 No.61

花散里さん、波平さんコメントありがとうございます。
梅雨入り前に、皆でどこか攻城したいですね。とりあえず
山中城の「山中城祭り」なんてどうでしょう?
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