小田原城御用米曲輪(発掘現場現地説明会)
鬼丸 : 2012/02/16(Thu) 18:34
No.14
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さる、2月4日(土)に中世城郭紀行第1回オフ会として、小田原城御用米曲輪の発掘現場で行われた現地説明会に 花散里さん、家内の笹丸、私の3人で行って参りました。
午前10時40分、小田原駅構内で花散里さんと再会のご挨拶をした後、駅前の横丁にある「北条氏政公、氏照公」の 墓所にお参り(この場所、最近若者に人気のあるスポットらしい。詳細は後日)、昼食を駅中の麺どころで花散里 さんともどもチャーシュー麺を食する。
説明会の開始は午後1時30分からなので、時間潰しに小田原城天守閣へ移動し、館内をウロウロ観て回る。 十数年前に訪城した時と展示品はあまり変わらず、展示されていた刀剣類は発錆し手入れの悪さを残念に思う。
定刻の20分前に現地入り、受付で説明会のレジメと別の場所で行われる報告会の入場整理券を頂き、いざ発掘現場 へ。説明会が始まる前に、どのような遺構が検出されているか下調べのため現場を一周見学、江戸時代の排水施設 が検出されたところで、説明会前にも係らず若い女性の学芸員さんがいろいろと説明してくれたのは非常にラッキー でした。
ところで、小田原城は他藩の城とは違い、江戸城の出城で徳川将軍家のものだったことをご存じでしょうか。将軍 が京へ上洛する際などに使用するため、本丸は将軍家専用、藩主は二の丸に御殿を建て居住していたそうです。 (簡単にいえば、小田原城本丸は将軍家専用の本陣みたいなもの。)
今回発掘場所の「御用米曲輪」は、本丸と二の丸の間に位置し、幕府の蔵が存在していたことからこの曲輪名が付け られた。「御用米」とは幕府直轄領で取れた年貢米をいい、本来は軍事用の備蓄米だったが、幕府財政の悪化による 財政再建や災害や飢饉などの時に利用されるようになった。有名な二宮尊徳さんも小田原地方が飢饉のおり、ここの 御用米を活用したといわれている。
この曲輪は戦国時代からあったようで、北条氏時代には百間蔵という名称ですでに倉庫群が存在していたようである。 小田原の役には、ここに沢山の兵糧米が備蓄されていたからこそ、世にいう「小田原評定」ができたのかもしれない。
【写真左】 復興された天守閣、もちろん鉄筋コンクリート製でございます。1960年(昭和35年)完成し、既に半世紀も経ている。 あと百年もしたら、この天守閣も昭和の遺産として文化財になるのかなあ?
【写真中】 今回の発掘現場の一部です。近くに行かないとなんだか良くわかりません。外周の溝は、この曲輪が野球場として使 われていた時に、スタンドを構築するため掘削されたもの。曲輪のアウトラインではありません。
【写真右】 現場説明担当の学芸員さん。ドカジャンに作業服そしてゴム長靴と完全装備のバリバリの学芸員さんだ。この方の説明 は非常に丁寧で聞きやすく、花散里さんも「発掘現場の現地説明会は初めての参加だが、内容がとても分かり易く勉強 になった。」とのコメントを頂いた。
次回へつづく。
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Re: 小田原城御用米曲輪(発掘現場現地説明会)
花散里 : 2012/02/16(Thu) 22:59
No.15
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鬼丸さん、先日は発掘説明会にお誘いいただき、ありがとうございました。
鬼丸さんも触れていますが、このような学術調査の場には初めて参加したわけですが、一言で言って「楽しく、勉強になった」に尽きますね。 やはり、何事も実際に自分の目で見ると、素直に理解できることが多いですね。
小田原城は小学校の日帰り遠足で訪れて以来、かれこれ40年以上振りになりますが、当時とはかなり様子が異なっていました。 馬出しや城門などが再建されている以外にも、自分自身の変化がそう感じさせたのだと思います。
また、機会がありましたら、ぜひお誘いください。 |
Re: 小田原城御用米曲輪(発掘現場現地説明会)
波平 : 2012/02/17(Fri) 00:15
No.16
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同級生で小田原城内高校の出身者がいました。昭和40年代に父と訪れ、売店で土産に買った木製の鯱が今でも兜のミニチュア人形ケースに入れてあります。城というと天守だけの復元が一時期多かったようですが、緊急発掘以外にもこのような学術調査が進んでいるのはうれしいかぎりですね。 |
Re: 小田原城御用米曲輪(発掘現場現地説明会)
鬼丸 : 2012/02/17(Fri) 19:56
No.17
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花散里さん、波平さん、コメントありがとうございます。
>自分自身の変化がそう感じさせたのだと思います。 花散里さん、大変に重みのある言葉ですね。日本刀はなんなのか、これを知るためにも城郭散策は有益だと感じています。
波平さん、今度現地説明会にご一緒しましょう。発掘現場は埋め戻されるか、破壊されるかのどちらかです。美術館や刀剣 店で見る日本刀より新鮮味がありますよ。
まだ正確な情報ではありませんが来月上旬に静岡県沼津市にある興国寺城の現地説明会があります。この城は北条早雲公 旗揚げの城として有名です。皆さん是非ご一緒に城攻めしませんか? |
Re: 小田原城御用米曲輪(発掘現場現地説明会)
花散里 : 2012/02/18(Sat) 14:21
No.18
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鬼丸さん
今のところ、3月上旬であれば特に予定はありませんので、参加できる見込みです。 詳細は、後ほど連絡を取り合いましょう。
−−−−− 今回から、「投稿ランキング」機能を有効にしてみました。 この掲示板の上部にあるタイトル画像の下にある「投稿ランキング」をクリックすると現在の状態がわかります。
本日現在で、鬼丸さんがもう一回の投稿で正八位上、波平さんは正八位下に叙せられたばかり、真改さんは1回の投稿ですので従八位下、私がこの投稿で従八位上となります。
官位相当表によれば、鬼丸さんが隼人佑(はやとのすけ)任官間近、波平さんは中宮大属(ちゅうぐうだいさかん)あたり、真改さんは和泉掾(いずみのじょう)あたりでしょうか。
まぁ、先は長いですが、まずは下国の国司(従六位下:投稿50回)を目指して投稿ください(^_^)v |
Re: 小田原城御用米曲輪(発掘現場現地説明会)
鬼丸 : 2012/02/18(Sat) 18:54
No.19
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花散里さん
また、面白いカラクリ(企画)を考えましたね。従八位下からのスタートはおまけかな?本来は小初位下が一番下でした よね。
ところで興国寺城現説について、詳細が解り次第ご連絡します。この情報は、先月の5日に現場の学芸員さんから直接 入手したもので今だおおやけに公表されていませんので、公表があり次第ご連絡します。
興国寺城現説のあと、なにを肴に一杯やりましょうかね?おっとその前に神奈川の小机城か東京の八王子城を攻めよう かと思っています。 |
Re: 小田原城御用米曲輪(発掘現場現地説明会)
花散里 : 2012/02/18(Sat) 19:30
No.20
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鬼丸さん
おっしゃるとおり、律令制の位階は小初位下から正一位までの30ランクです。 明治初期の太政官制だと、上下がなくなって20ランク。 明治20年の叙位条例や大正15年の位階令ですと、従八位からの16ランクですね。
小初位や大初位だと任官できる位にあまりなじみがないので、大小初位を省いて26ランクとしました。
お望みでしたら、律令制の30ランクにいつでも変更できます(^^ゞ |
Re: 小田原城御用米曲輪(発掘現場現地説明会)
波平 : 2012/02/18(Sat) 23:23
No.21
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花散里さん 私は「蔭位の制」を適用して特進というのは…むりでしょうね(^_^;) |
Re: 小田原城御用米曲輪(発掘現場現地説明会)
花散里 : 2012/02/19(Sun) 00:33
No.22
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波平さん
「蔭位の制」ですか・・・なるほど、考える余地はありますね。
「蔭位の制」そのものは「親の七光り」ということなので、いくらなんでも親子二代で電脳倶楽部に参加されている方はいないでしょう。 しかし、この「中世城郭紀行」だけに捉われず、「電脳倶楽部」全体に関する投稿数をカウントすることにすれば、例えば波平さんの場合はざっと数えても過去ログを含め350回以上の書き込みがあります。 今の基準ですと、いきなり「正三位 大納言」ですね。
なじみのある官位に絞って「電脳倶楽部 官位相当表」を作り、電脳倶楽部全体の投稿数で叙位をおこない本人の望む官職に任官する、といった感じでしょうか? まぁ、その場合は叙位の基準も見直すことになると思いますが。 |
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