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本題の発掘現場の写真です。
【写真左】 今回の発掘調査では、御用米曲輪の輪郭をはっきりとさせ、今後の整備に方向性を持たせることを目的としていましたが、 調査が進むにつれて重要な発見が相次ぎ、その一つは戦国時代の障子堀や石積みを伴う堀の検出で、特に江戸時代の 本丸、二の丸付近からの障子堀の発見は珍しく、これら堀の検出により小田原城の歴史や構造、特に曲輪の変遷を考え る上では貴重な発見で、これまで考えられていた戦国期の小田原城の縄張り自体を再検討する必要があるそうだ。
【写真中】 もう一つは、現在の本丸広場にある売店の裏側で、御用米曲輪側の斜面盛土部から江戸時代の鉄門(くろがねもん)跡及 び御用米曲輪から本丸へ連絡する階段状の登城道と、それに伴う排水設備などの遺構が検出された。 この付近は1923年(大正12年)の関東大震災により石垣などが崩落した箇所で、現在でも大きな石材がごろごろしている 場所である。
【写真右】 御用曲輪北側にある土塁の基底部付近からの遺物の出土状況です。 ここからは、中世の土器(かわらけ)が多量に出土していた。おそらく出土地点付近に饗応などの儀礼を行う空間が存在 したものと推測される。また、この付近に残る土塁は戦国時代の遺構として認識されていたが、遺物の出土状況からこれ ら土塁は近世小田原城に伴うもので、戦国期の遺構面に盛土して構築したものではないかとの意見も聞かれた。
次回へつづく。
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