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興国寺城(発掘現場現地説明会)   鬼丸 : 2012/03/11(Sun) 17:47 No.29

3月10日(土)、早くも中世城郭紀行第2回オフ会を開催した。参加者は私、花散里さん、家内の笹丸の合計3人と前回同様少人数で、しかも生憎の小雨で肌寒いなかでの現地説明会参加となった。

一般見学者も雨模様のためか前回の小田原城御用米曲輪の現地説明会よりは少ない感じでしたが、それでも100名前後の市民や愛好家が集まり、また地元新聞社など報道関係者の姿も見えた。

今回の発掘調査では大きく2つの発見があった。ひとつは二の丸と三の丸の境付近の西外堀(調査区A)で発見された船着き場跡と護岸の石列と木杭の発見である。

もう一つは、三の丸(調査区C・D)で現在でも確認できる土塁の内側部分より更に古いと思われる土塁や掘跡が次々と発見され、三の丸だけでも3〜4回にわたる改修があったことを裏付ける結果が出たそうだ。後世の開発行為により遺構の残存状態は良好とは言えない中での発掘作業、調査員さんや作業に従事した方々の苦労がわかる現場でした。


【写真左】(調査区A)
担当の職員さんの説明によると今現在でも水が湧き出ていて確認しにくい状況ですが、底の部分は岩盤を真っ平に削られた平場になっているそうだ。立ち上がり部分は切岸状にしてあり、その後埋め戻す際に施された石積み、更にその外側に護岸と考えらる位置に横板を張るための杭を見ることができた。

【写真中】(調査区C・D)
数次にわたる改修が、どの時代のものか比定できる遺物が出土していないが、総体的に15世紀から16世紀の遺物が多く特に出土した陶磁器を詳細に調べ、三の丸の変遷を詳しく調べていく予定だそうだ。

【写真右】(こんなん出ました〜)
刀の切羽である。後世の攪乱された土中から発見されたものなので何時の時代のものかは解らないそうだ。
刀剣愛好家にとっては興味のある遺物である。私見であるが穴の大きさから短刀又は小脇差かと思われる。


つ づ く

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Re: 興国寺城(発掘現場現地説明会)   花散里 : 2012/03/11(Sun) 23:03 No.30

鬼丸さん、丸一日ご案内いただき、ありがとうございました。
当日は寒の戻りで、風も冷たく雨模様の一日でしたが、職員さん・学芸員さんの熱心な説明に寒さも忘れ聞き入ってしまいました。
説明会の後にご案内いただいた本丸なども、想像以上に広大で見ごたえのあるものでした。

前回の小田原城でも感じましたが、写真などだけで理解できるものではなく、実際に自分の足で理解することが大事だということがよくわかります。

巨大なスズメバチの巣には怯みましたが、楽しい一日でしたよ。

鬼丸さん、学芸員さんとは顔見知りのようですから、そのうち「銅製の内輪ではなく、切羽と言うんだよ」と教えてあげてください(^_^)/

Re: 興国寺城(発掘現場現地説明会)   鬼丸 : 2012/03/12(Mon) 20:28 No.31

花散里さん 小雨の降る寒空の下の見学ご苦労さまでした。

学芸員さんも専門外だったのでしょうね。「切羽詰まった」あげくの表記だったと思われます。

あのズズメバチの巣は「特別保存」以上の価値がありそうですね。そのうちアップする予定です。

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