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民俗学者・柳田國男の全集を読んでいましたら、柳田の主催した郷土会記録の大正五年(1916)の発表原稿に、小此木忠七郎(おこのぎ・ちゅうしちろう)という、大正から昭和はじめに活躍した福島県の民俗学者が「刀鍛冶の話」を書いていました(筑摩書房『柳田國男全集』22)。
「世界中の刀は沙鉄より作る…。山中の地を平にし穴を掘り、五週間ほど木炭を焼いた上に鉄鉱と炭を積んで炉を築き、百姓にフイゴを踏ませて溶解する。炉の上の穴からヅク、中の穴からハガネ、下の穴からナマガネが湯となって流れ出る。硬軟の鉄を短冊状として積み上げて加熱鍛造し…」などはやや誤解がある様ですが、「古代の青銅武器は分析によると周礼・考工記の武器の成分と一致する。奈良時代までは輸入刀剣が珍重された。平安時代に反りのある刀ができた。刀工に不動明王、地蔵信仰がある。刀銘の製作年には実際の月と関係なく二月または七月に造ると記す」などは実際の例に拠っているようでした。
「明治初期までの刀匠名鑑に見える刀匠9,700人、最も多い国は備前1,549人、第二九州北部985人、第三美濃780人、第四山城636人、以下第五武蔵、第六攝津、第七奥州、第八九州南部、第九大和、第十伯耆、第十一備後三原 第十二北国、第十三相模・・・」とありました。時代別の統計もあり、よく調べられたものです。小此木氏は「都と江戸は除き北九州・奥州・伯耆は国防の要地なので刀匠が多かった」としていますが、大陸文化に触れる機会の多かった場所もあったと思います。最近「弥生時代の鉄器に中国鉄官の製品あり、鉄器文化は畿内より高い」と言われ始めているのが島根、鳥取、福岡、瀬戸内海沿岸などですから。 |
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