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The Dragon Flinger   野崎 準 : 2010/07/22(Thu) 19:49 No.429
7  仙台輪王寺開山の鱗庵和尚が伊達政宗に初見の時、政宗は太刀を抜き放って「剣刃上の一句,作麼生(そもさん)」と突きつけた。和尚は政宗の肩を押さえ擒縦(きんしょう・とらえる)して投げ飛ばし、「この賊漢!」と一喝した。政宗は恐縮し、正座して応対した。

(横尾賢宗「禅と武士道」大正5年 鎌田茂雄編『叢書・禅と日本文化6』所収)

 武将と禅の出会いの挿話として語られています。剣刃上の一句とは前述の『無門関』にある「剣刃上行 氷稜上走 不渉階梯 懸崖撤手」の公案で、絶体絶命の危機の時でも大悟したものは動じない、の意味です。仙台輪王寺10世鱗庵光金の逸話だと思いますが、輪王寺は臨済宗でなく曹洞宗、開山したのは室町時代嘉吉元年(1441)、大庵梵守和尚を迎えてですからどこかに誤伝があるようです。
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芭蕉七部集の刀剣関係句   野崎 準 : 2010/06/29(Tue) 20:52 No.428
7 『冬の日』貞享元年(1684)
 連歌 晦日を寒く刀売る年 重五
    血刀かくす月の暗きに 荷兮
    寅の日の旦(あした)を鍛冶のとく起きて 芭蕉
『春の日』貞享3年(1686)
    朔日を鷹もつ鍛冶のいかめしく 荷兮
『阿羅野』元禄2年(1689)
    忙しき野鍛治を知らぬ柳かな 荷兮
『猿蓑集』元禄4年(1691)
 連歌 たたらの雲のまだ赤き空  去来
    追いたてて早き御馬の刀持ち 去来
『炭俵』元禄7年(1694)
    刀さす供もつれたし今朝の春 膳所正秀
『続猿蓑』元禄11年(1698)
    はる雨や光うつろふ鍛治が鎚 桃首
    小米原奈良のはづれや鍛治が家 万乎

 芭蕉翁をはじめ俳壇には武家出身者が多かったようですが刀剣の句はあまりありません。初期の弟子だった荷兮(かけい・山本周知・名古屋の医師)に鍛冶の句がありました。
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飛鳥へ   野崎 準 : 2010/05/22(Sat) 07:18 No.427
8  奈良県橿原市の県立橿原考古学研究所附属博物館での「大唐皇帝陵展」と明日香村飛鳥資料館での「キトラ古墳壁画特別公開」を見て来ました。今回も武器・武具はほとんどありませんでしたが橿原の常設展示には鉄廷や古墳出土の甲冑刀剣、鍛治道具、藤ノ木古墳の復元刀などがありました。

 飛鳥は壬申の乱では物凄い戦場になっているのですからもう少し当時の武器武具の展示があってもいいかと思うのですが。飛鳥寺の塔鎮壇具にも甲冑があるし。
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遣唐使展へ   野崎 準 : 2010/04/30(Fri) 08:19 No.426
8 奈良国立博物館の平城遷都1300年記念「大遣唐使展」を見て来ました。中国や米国から出展された隋・唐美術の至宝が並んでおり圧倒されましたが、平和交流の強調のためでしょうか武器・武具はほとんどありませんでした。唐と戦火を交えた時代もあり、遣唐使には鍛工の技術留学生もいた、と記録されているのですが。
 思いがけず実物を見る事ができたのは東大寺大仏殿の創建時鎮壇具の金鈿装太刀二振で、豪華な装飾の残存を近くで眺める事が出来ました。文人の小刀は藤井寺天満宮の伝・菅原道真の犀(さい)角柄刀子がありました。
 遷都記念で名刀を多数所持している春日神社をはじめ各地の神社仏閣でも特別公開を開催中ですので、混雑時を避けて再訪を考えております。
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関に行きました   野崎 準 : 2010/03/25(Thu) 09:27 No.425
9  岐阜県の関市を訪ねました。美濃刀工の中心地、という事で、高山線美濃太田から長良川鉄道で行きましたが、イメージでは奥美濃の山沿いだと思っていたのに、濃尾平野の周縁部という感じで低い山があるだけ、高い山は旧飛騨国まで行かないと見えないといわれました。
 大和、山城、相州のように大需要地の近くでもなく、備前のように鉄産地の近くでもない、なぜここに全国屈指の刀工集団がいたのかと考えたのですが、もともとは飛騨、恵那などの山地で仕事をする人々、飛騨匠として都に上る人々に鉄器を供給していた場所だったのでしょうか。その関周辺で刀工が備前と並ぶほどの大量の刀剣を製作し、その技術の流れが各地に広まるのは主に室町時代から織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などこの付近を根拠地とした天下取りが輩出した戦国時代にかけてでした。
 関鍛治伝承館に伝承刀、現代関刀工の作品が展示され、また伝統刃物、ナイフなどのコレクションもありました。近世近代の地場産業としての鉄加工産業は兵庫県三木、新潟県三条・与板のように大工道具や農林水産業機具の産地から発達する場合が多いのですが、関は刀剣産業から転換した異色の町でした。江戸三百年泰平の時代にも美術的技巧に落ちず実戦向けの刀剣が作られていた伝統によるものでしょうか。
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森蘭丸の大太刀   野崎 準 : 2010/03/08(Mon) 22:34 No.422
11  長雨の合間に京都河原町の本能寺大宝殿を拝観してきました。信長公ゆかりの品々、茶器や文書に混じって大太刀が一振装具をそえて展示してあり、「陣太刀・森蘭丸使用。刃長三尺四寸六分」、「実戦用ではなく陣中に立てかけて魔除けに使ったもの」と説明がありました。約104.8cmとなり、柄を含めると150cmほどになると思われます。
 一般に刀・太刀は三尺以下で、騎馬武者の用いる太刀はともかく、徒歩で戦う場合長大な刀は重くて移動にも戦闘にも不利、儀礼用で実戦では使われないとされていますが、大太刀として知られている宮城県鹽竈神社博物館にある伊達家臣後藤信康の刃長121cm、柄長99cmという巨大な太刀は刃こぼれが見られることから実戦で用いたとされています。備前にはさらに長大な大太刀、野太刀があったと記憶しますが、怪力の武士によって戦場で振り回されていたのでしょうか。
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Re: 森蘭丸の大太刀   波平 : 2010/03/16(Tue) 23:01 No.423
1 野崎先生、いつも楽しみに拝見しています。私は毎年の大晦日、奈良か京都で過ごすことにしています。本能寺はそういえばしばらく訪ねていません。大宝殿というのがあるんですね。森蘭丸使用といえば美作津山にでも伝来したものでしょうか?この3月も仕事で行った京都ですが、次回は是非訪ねてみたいと思います。 [修正]
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Re: 森蘭丸の大太刀   野崎 準 : 2010/03/17(Wed) 22:20 No.424
8  本能寺の資料館は前は観光シーズンだけ開館だったと思いますが、現在は常時開館している様でした。
 古文書や茶器、京都の法華宗関係の資料があります。京都の法華寺院の大半は天文法華の乱の後江戸時代に二回大火にあっており、よくこれだけのものを伝えていると思いました。
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北野天神にて   野崎 準 : 2010/02/12(Fri) 07:23 No.421
9  建国記念の日は北野天満宮を梅の便りにひかれて拝観して来ました。2月に花というのは東北育ちにとっては未だに違和感がありますが、境内にも紅白の梅花が咲き始めていました。
 宝物殿を再訪しましたら刀剣と常設展示の一部が展示替えになっていました。慶長12年(1607)信濃守国広の太刀(重文)に「北野天満宮豊臣秀頼公御造営時」とあり、これは前回にも見ました。古い拵が再発見され、銘のきり方から刀とされていたのが太刀として奉納されたことが判明したとか。また前田重熙公が宝暦2年(1752)奉納の備前長船師光の太刀(重文)、享保6年(1721)日本国鍛治宗匠伊賀守藤原朝臣金道の太刀もありました。金道の太刀は普通の糸巻拵でなく、柄が鮫皮で目抜金具の下に俵鋲を並べ鍔も唐鍔の復古様で、「衛府の太刀」と説明されていました。
 衛府の太刀といえば毛抜型の柄が普通ですが、『新編相模風土記』で鎌倉鶴ケ丘八幡宮の源頼朝公佩刀と伝えるこの形の太刀を「衛府の太刀」と言っているのでそちらの定義を取ったのでしょうか。江戸時代の考証ですから武衛将軍(兵衛佐の唐名)頼朝公の佩刀なら衛府の太刀、と考証した可能性もありますが?
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禅語と刀剣   野崎 準 : 2010/01/12(Tue) 05:43 No.418
11  上泉伊勢守の逸話に出てきた「剣刃上の事」の出典は
「剣刃上行 氷稜上走  不渉階梯 懸崖轍手」(『無門関』 第三二則)だそうです。

 秋月龍眠『無門関を読む』(講談社学術文庫)によりますと

「剣刃上に行き、氷稜上に走る。 階梯に渉(わた)らず 懸崖に手を轍(はな)す」と読み下すそうです。真実の悟りを開いたものはこのような絶体絶命の場面でも心は動じないのだとか。

 同書には「驀然(まくねん)として打発せば驚天動地、関将軍の太刀を奪い得て入手するが如く、仏に逢うては仏を殺し、祖(師)に逢いては祖を殺し、生死巌頭において大自在を得る」(第一則)「殺人刀 活人剣」(第十一則)、などの言葉もありました。
 中国禅宗の言葉には意外と刀剣関係の比喩があります。時代が五代から宋、元にかけての戦乱相次いだ時代だからでしょうか。日本の武士階級にすんなり受容された理由も分るような気がします。
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Re: 禅語と刀剣   野崎 準 : 2010/01/22(Fri) 15:03 No.420
8  鈴木大拙博士の『続・禅と日本文化』には凶暴な鼠を退治した猫に剣士が教えを乞う話が出てきます。猫は「剣の道は禅の真理を感得する手段の一つである」と解説するのですが、これは出典も猫の真意もまだ理解の外です。剣士が猫語を解するところからして分らない。 [修正]
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正倉院の「賓鉄」についての新論文   野崎 準 : 2009/12/29(Tue) 07:56 No.413
9  正倉院献物帳に「賓鉄刀子」というのがあり、中国では賓鉄というのは西域の、それで作った刃に模様が出来る鋼を指していることから「ダマスカスの鋼ではないか?」という問題を窪田蔵郎氏が『鉄の文明史』(1991)で指摘しておられました。

 至文堂『日本の美術』2009年12月号の西川明彦氏「正倉院の武器・武具・馬具」でこの指摘が取り上げられ、中国文献に見える賓鉄とは「産地は特定しがたいが西域からの輸入鉄」だと考証されました。そしてその鉄で作られた刃物の候補として、従来の研磨作業で専門家が揃って普通の鋼と違うと指摘している、非金属介在物のほとんど認められず、組織も微細で洋式刀剣やナイフのような熱処理がされている一群の刀剣、刀子を候補にあげておられます。

 最近の技術考古学の進歩で、technologyは政治や文化の枠組みを超えて意外と自由に交流して、相互に影響関係を与えていると理解されて来ましたが、まだまだ新しい視点からの発展がありそうです。面白くなってきました。

 来年もよろしくお願いいたします。
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Re: 正倉院の「賓鉄」についての新論文   田舎侍 : 2009/12/30(Wed) 21:22 No.414
1 たしかインドのアショカ王?の錆びない鉄塔というのがありましたよね あれも関連繋がりありでは・・・・・

今年も楽しませてもらいました。
来年もよろしくお願いします。
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Re: 正倉院の「賓鉄」についての新論文   野崎 準 : 2010/01/22(Fri) 14:52 No.419
8 「デリーの鉄塔」は軟鉄で、錆びにくいのは表面に安定した酸化膜が出来るからとされています。ダマスカス鋼は「折れず曲らずよく切れる」鋼だということになっていますが・・・。 [修正]
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新年おめでとうございます   真改 : 2010/01/01(Fri) 00:47 No.415
1 明けまして、おめでとうございます。

昨年は、大変お世話になりました。

本年もよろしくお願い申し上げます。<m(__)m>。
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Re: 新年おめでとうございます   野崎 準 : 2010/01/01(Fri) 11:41 No.416
8 今年もよろしくお願いいたします。
 カウンターがどんどん上がっていくので多くの方が見てくれていると思い、せめて月2話と思っていたのですがなかなか材料探しの時間がなくて失礼しています。今年はもう少し参考書を読んでみます。
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Re: 新年おめでとうございます   花散里 : 2010/01/01(Fri) 13:16 No.417
1 明けましておめでとうございます。

いつもながら、興味の尽きない話題をご提供いただき、毎回更新を楽しみにしています。

本年もよろしくお願いいたします。
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