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新元号「令和」発表の時、「万葉集の梅の歌の序から採用」とあり、すぐ「筑紫歌壇」だなと気がつきました。「梅花の歌三十二首並びに序」は『万葉集』巻五にあります。
この巻は奈良時代の天平初期、筑前国太宰府に集まった歌人大伴旅人(大宰帥)、山上憶良(筑前守)、小野老(太宰少弐・「あおによし奈良の都は咲く花の 匂ふがごとく今さかりなり」を詠んだ人)らの作品が集り、「貧窮問答歌」や松浦佐用姫の歌などの名歌も含まれ、筑紫歌壇と呼ばれています。
この時期に歌人が九州に集まっていたのは神亀五年(728)の長屋王の乱で後ろ暗い関係者が辺境に飛ばされていたためという説もありますが、旅人は平城京に戻り晩年には大納言にまでなります。
天平二年(730)正月十三日、大宰帥の老(おきな)の宅での宴、旧暦なので盛りの梅を見ながらの歌会ですが、国際情勢危急の現在に酒を飲んで遊んでいていいのか?とも思います。
『万葉集』巻二十で大伴家持は 剣太刀いよよ研ぐべしいにしへゆ 清けく負ひて来にしその名を とも詠んでいるのですが。
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