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既出『日本略史』第五巻、天文十二年(1543)に;
八月。葡萄牙(ぽるとがる)ノ人百余人、一大船ニ乗シ種島【大隅】ニ来ル。言語通ゼズ。杖ヲ以テ沙ニ書キ、互市ヲ求ムルノ意ヲ示ス。時ニ葡人鳥銃ヲ齎(もたら)シ来ル。島主時尭(ときたか)、之ヲ購ヒ、人ヲシテ之ヲ學バシム。是ヨリ吾邦初テ鳥銃アリ、耶蘇教ノ我国ニ入ル、亦是ヨリ始ル。
この種本は薩摩の僧南浦文之の『鉄炮記』で、海外史料とも矛盾しないというので、日本への鉄砲伝来は1543年、はほぼ定説でしたが、その後はこれ以前の鉄砲使用の記録あり、とか南蛮船でなく明の船だとか異論も出ているようです。
海外から伝えられた新兵器を直ちに国産でき、30〜40年後には弓矢・槍に代り歩兵の主要武器になるのは日本の鉄加工技術のレベルが高かったから、と言われています。 なお鉄の鍛接に硼砂を使うのはこの時南蛮人から教わったという説もあり、技術の交流は他にもあったようです。
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