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上杉謙信・武田信玄の「川中島合戦」は天文22年(1553)から永禄7年(1564)まで5回行なわれた、とされています。しかし基本文献が武田方の「甲陽軍鑑」、上杉方の「北越太平記」など後世の脚色されたものしかなく、しかも面白いエピソードはこれらの文献にしかないという厄介な歴史だそうです。
両軍が本気で衝突して大きな戦いになったのは第二次の天文24年、川中島八幡原で両軍主力が戦った永禄4年の第四次合戦とされています。江戸時代には信玄・謙信の一騎打ちは第二次の合戦で川の中、とされていました。川中島合戦の屏風絵などにはこの様子が描かれ、笠間氏のこの場面の種本となっている頼山陽「日本外史」もこの説に拠っています。
明治以後は小説や映画、テレビドラマなども両雄の対決は第四次合戦に上杉軍が武田の本陣に迫った時の事としています。大将自ら斬り合ったという以外に同時代史料なし、脚色自由自在と判明したからでしょう。
なおこの真偽不明の文献には「小豆長光鉄砲斬り」という名剣伝説もあります。
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