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ICHGAMI SHAMUSHO+市神社務所+

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【親記事】
春雪の桜田門
野ア 準 : 2018/03/23(Fri) 18:41 No.646
8  今年は3月21日春分の日、春彼岸の中日に東京に雪が降りました。

 3月中旬の雪は珍しいのですが1860年には3月24日に雪が降っています。旧暦でいうと万延元年三月三日。「天誅!と烈士が言ったから三月三日は桜田記念日」の桜田門外の変があった日です。前夜からの春の淡雪で事件当日は曇り、映画・演劇のような「落花紛々雪紛々」ではなかったらしいですが。

 彦根藩はこの時暗殺された大老井伊直弼以外に警護の武士は即死4人、重傷のち死亡4人、負傷し引責自決となったもの、逃げて彦根藩に処刑されたものまで多数の死者、攻撃側も即死1人、負傷して自決、自首して斬罪など18人のうち明治まで存命できたのは2人だけと記録されています。

 この事件で徳川幕府の親衛隊、戦闘力第一と称していた彦根井伊家は藩主を暗殺されて、威信は地に落ちます。そしてそれまで武闘を控えていた勤王・佐幕の争いが凄惨な幕末の死闘に至る発火点となりました。

 注意したいのは作戦開始の合図に井伊大老の駕籠がピストルで狙撃され、それがほぼ致命傷だったのにその後は双方刀での斬り合い、大老は斬首、と事件の主要武器は刀だったことです。近代的な洋式銃による戦闘になるのは戊辰戦争の頃までかかった様です。
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Re: 春雪の桜田門
田舎侍 : 2018/05/03(Thu) 02:18 No.649
1 いつも楽しく拝見しています。
数年前のニュースで、どこか忘れましたが地方の関所の古文書を調べていた中で・・・不審者として取り調べた者の中に彦根藩の人足だった者がいて、調書には 「その者井伊直弼襲撃の列におり平民の人足だったから追放された」との事。
「隊列にいた武士は一族郎党親子老人にいたるまで全員死罪になったと供述した」という古文書記録が発見されたという「ニュースを見ました。

武士は大変ですね。

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[→646] Re: 春雪の桜田門
野ア 準 : 2018/04/01(Sun) 19:54 No.647
11 走筆作詩 黒沢勝算
狂ト呼ビ賊ト呼ブ、他ノ評スルニ任ス。幾歳ノ妖雲、一旦晴ル。
正ニ是レ桜花ノ好時節。桜田門外、血桜ノ如シ。

 襲撃犯の一人黒沢忠三郎の漢詩。最初に大老をピストルで狙撃した人物と言われています。負傷して数藩の預かりとなり同年七月に病死。簡野道明『和漢名詩類選評釈』(大正三年)所収。簡野氏は
「詩としては伝うるに足らざれどもその精神気迫の自ら二十八字に躍出せるを取る」としておられます。

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