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ICHGAMI SHAMUSHO+市神社務所+

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【親記事】
柱の傷は応仁の乱
野崎 準 : 2019/02/25(Mon) 21:27 No.665
11  世界文化遺産の国宝・重文が多くある京都市ですが、市街地には意外と古い建築はありません。大都市の例で火災が多く、「この前の戦争」応仁の乱(1467-77)以後も「焼失面積では応仁の乱以上」という「天文法華の乱」(1536)、江戸時代の数回の大火、幕末の「蛤御門の変」による「ドンドン焼け」(1864)などで失われてしまったのです。

 その中で奇跡的に残ったのが上京区の大報恩寺本堂で、通称千本釈迦堂、国宝建築で、鎌倉時代貞応年間(1222-24)ごろの建築、快慶作の釈迦如来像、十大弟子像などの仏像も多く残されています。

 この本堂は内陣を拝観できますが、多数の円柱に矢の当たった跡の穴、刀で斬りつけた傷が多数のこっています。千本通りの東、堀川今出川あたりが応仁の乱の西陣、山名宗全邸跡、その更に東が細川勝元の拠った室町幕府跡で、度重なる応仁の乱の激戦によるものと伝えています。文化財見学会でご案内の先生方から、「人間の頭から心臓の高さに矢跡、刀傷が集中している」「応仁の乱のころから一般化してきた槍の傷もある」とご教示いただきました。

 京都には東福寺や建仁寺などにも矢傷のある門があり、平氏の館の門、六波羅探題の門などと伝えております。京都御苑の蛤御門は鉄炮傷で有名ですが、古い戦争の痕跡にも注意したい物です。
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[→665] Re: 柱の傷は応仁の乱
田舎侍 : 2019/02/27(Wed) 16:51 No.666
1 いつも楽しく見せて頂いています。
こういうの大好きなので大切に遺してほしいですね。

保存改修耐震も大事ですが、姫〇城や平〇院など あまり綺麗になると少し悲しくなります。
関係者の苦労も知らずにと言われればそのとうりですが難しい問題ですね。
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