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ICHGAMI SHAMUSHO+市神社務所+

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【親記事】
明治の歴史書から
野ア 準 : 2020/01/08(Wed) 12:08 No.680
11  明治の漢学者・歴史学者笠間益三(1844-97)の『日本史略』を古書店で偶然、再刊本も含め全八巻入手できました。
 著者は筑前柳川藩士、明治政府の官吏となり旧制五高などで教鞭を執っていた人です。神武天皇から明治10年の西南の役の終結まで、明治13年の木版本でした。
 「小学童蒙のための平易な通史」といい面白い国史概説です。

 謙信・信玄の川中島の戦いは「五度合戦記」等により、二人の一騎打ちは天文23(1554)年、川の中とされています。一部現代漢字にしました。

 天文二十三年八月。謙信復タ兵八千を帥テ信濃ニ入リ、犀川ヲ渡リテ陣ス。信玄一万人ヲ以テ出テ之ト対ス。塁ヲ固クシテ出デズ。謙信伏ヲ設ケ、甲斐ノ軍ヲ誘キ出シ、之ヲ殺ス。甲斐ノ軍随テ皆出ツ。大ニ戦フテ互ニ勝敗アリ。信玄潜ニ令ヲ下シ、犀川ヲ渡リ、旗ヲ伏セ、葦中ヲ経リ直ニ謙信ノ麾下ヲ襲フ。麾下潰走ス。宇佐美定行、横ニ信玄ヲ撃チ之ヲ破ル。信玄数騎ト走リ河ヲ乱ル。一騎将アリ。白布ヲ以テ面ヲ覆ヒ、太刀ヲ抜キ、来リテ信玄ヲ中流ニ逼ル。信玄将ニ逃レントス。騎将罵テ曰ク、「豎子、此ニ在ルヤ」ト。刀ヲ挙テ之ヲ撃ツ。信玄麾扇ヲ以テ之ヲ扞ク。信玄ノ従士、之ヲ救ハント欲ス、水速シテ近ク能ハズ。槍ヲ挙テ之ヲ撃ツ。馬ニ中ル、馬跳リテ淵中ニ入ル。信玄因リテ免ル。是日両軍死傷相当ル。信玄創ヲ被レリ。・・・越後ノ捕虜云フ、「導キノ騎将ハ乃チ謙信ナリ」ト。

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[→680] Re: 明治の歴史書から
野ア 準 : 2020/01/09(Thu) 09:59 No.681
11  上杉謙信・武田信玄の「川中島合戦」は天文22年(1553)から永禄7年(1564)まで5回行なわれた、とされています。しかし基本文献が武田方の「甲陽軍鑑」、上杉方の「北越太平記」など後世の脚色されたものしかなく、しかも面白いエピソードはこれらの文献にしかないという厄介な歴史だそうです。

 両軍が本気で衝突して大きな戦いになったのは第二次の天文24年、川中島八幡原で両軍主力が戦った永禄4年の第四次合戦とされています。江戸時代には信玄・謙信の一騎打ちは第二次の合戦で川の中、とされていました。川中島合戦の屏風絵などにはこの様子が描かれ、笠間氏のこの場面の種本となっている頼山陽「日本外史」もこの説に拠っています。

明治以後は小説や映画、テレビドラマなども両雄の対決は第四次合戦に上杉軍が武田の本陣に迫った時の事としています。大将自ら斬り合ったという以外に同時代史料なし、脚色自由自在と判明したからでしょう。

 なおこの真偽不明の文献には「小豆長光鉄砲斬り」という名剣伝説もあります。

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