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ICHGAMI SHAMUSHO+市神社務所+

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【親記事】
五月雨のころ
野ア 準 : 2020/06/27(Sat) 08:27 No.687
11  京都御苑内から豊臣秀吉晩年に築城され間もなく廃絶、「同時代史料はあるが遺跡も地名も伝承地も不明」だった「新城」の石垣・堀が発見されました。

京都御所の周辺には国史上重要な史跡なのに廃棄後の破却も徹底、正確な場所も遺跡も断片的にしか判らない城館がいくつかあり、秀吉の「聚楽第」さえも最近の断片的な発掘調査の集積でようやく平面が明らかになってきた所です。

 戦国末期の足利将軍邸は現在の京都御苑の南西、現平安女学院の付近で、「武衛陣町」の町名がある付近でした。武衛(兵衛督・斯波義将)の陣の所在地でした。

 永禄八年(1565)5月19日に将軍足利義輝が三好氏に暗殺された地です。剣術に長じた武将だったので自害前に大いに戦ったという伝説もあります。

さみだれは露か涙かほととぎす 我が名をあげよ雲の上まで
『続応仁後記』の伝える足利義輝辞世。享年30.
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Re: 五月雨のころ
花散里 : 2020/06/27(Sat) 17:53 No.688
1 この安土・桃山の時代、今からおおよそ400年余り前のことになりますが、時の為政者側の都合などによってあっという間に事実は葬り去られてしまうのでしょうね。

過去のことも、事実がぼかされ大人の事情によって語り継がれて行くみたいです。
織田信長の比叡山焼き討ちにしても、従来言われていた全山焼き討ちに対し近年の発掘調査では、意外なほどに燃え跡なども少なく何千人を殺したと言われて来た割には、人骨の出土なども無かったと聞きました。

真実は歴史の闇の向こうに・・・なのでしょうか?


コロナウィルスの影響はまだまだ続きそうです、ここまで頑張ってきましたのでこれから感染するのは悔しいです。
野崎先生も十分にお気を付けください。
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