[掲示板に戻る] [一覧表示に戻る] [ツリー表示に戻る] []  [旧バージョンの過去ログ]
過去ログ[0004]
過去ログ
検 索
キーワード 条件 表示
【標準表示/一覧表示

古代のカナハシ   野ア 準 : 2016/07/13(Wed) 18:32 No.599
8  宮崎県えびの市の地下式横穴(地面に穴を掘り、その側面から横穴墓を掘ったもの)から6世紀の金象嵌のある鉗(カナハシ)が出土したと報じられました。

 金属の熱間加工では加熱する炉と温度を上げる送風設備(フイゴ)、材料を叩く鉄床(カナトコ)と鉄鎚(カナヅチ)、それに加熱した素材を保持するカナハシが重要な道具です。現在の鍛冶業で使うカナハシは古代ギリシャの壺絵に同じものが出ており、作業に応じた色々な形、鍛造以外にも鋳造の坩堝を挟んで持ち上げる物など多種類のカナハシがありました。

 ただし世界的には金属加工の象徴としては鉄鎚や鉄床、送風機のフイゴなどが用いられることが多く、鍛冶神を崇拝した北欧には鉄鎚や鉄床をかたどった祭器や装身具がありますが、カナハシは近代以後の鉱業・金属加工業のマークに見える程度です。

 ただ代用品が自然石で間に合う鉄鎚・鉄床に対してカナハシは簡単に調達できず、古代律令の軍防令では軍団兵士10人ごとの装備に鉗があり、『後三年合戦記』では金沢の柵が落城した時、城内から源氏の兵をののしっていた千任丸なる武士を「えびらより金ばしをとり出し」て歯を砕き舌を引き出して切った、とありますから、武士も武器・武具の修理のためにカナハシを携行していたのでしょう。

 えびの市出土のカナハシは長さ15センチとありますから、実用品でなく副葬用の祭器かも知れません。『地獄草紙』では鬼が亡者を拷問する道具にカナハシがありますから、何か鍛冶業以外の用途に使ったものの祭器という可能性もありますが。

Re: 古代のカナハシ   野ア 準 : 2016/07/14(Thu) 06:10 No.600
8 追記
 新聞記事を見ましたら金ではなく「銀象眼」でした。「象眼」は象嵌の当て字ですが、辞書にもでています。多分タガネで溝を掘り銀線を叩きこむ技法なのでしょう。金とちがい酸化・硫化で黒くなりますからよく見つけられたものです。

加賀の士風   野ア 準 : 2016/06/25(Sat) 21:33 No.598
11 戦国時代の文書展を見ていましたら、文書だけでは持たないのか戦国武将の肖像画も展示されていました。
風林火山の旗を背にした武田信玄、小袖姿の織田信長らの肖像に混じって、馬の鞍に生首をさげ、槍にも生首を貫き、返り血に染まって進む若き日の前田利家の像がありました。この絵はどこかで見た記憶がある、とインターネットで検索しましたら同じ図が沢山ヒットし、石川県立博物館、高岡市立博物館などの解説によると、「若き日の利家が信長に反抗して出仕を禁じられていた時に桶狭間の戦いが起こり、独断で出陣して首を三つ取ったが帰参は許されなかった。しかし『槍の又佐』の勇名は天下に鳴り響いた、という故事による。江戸時代に前田家が京の宮廷画家岸駒に画かせ、家臣も好んでその模写を入手したので、加賀の旧家には多数保存されている。藩士はこの図を正月の『めでた掛け』に使用した」とありました。絵によっては首の数が増えているものもあります。

北陸新幹線開通で金沢市などでは「加賀百万石は武家文化と美食の国。加賀友禅・九谷焼・越前蟹に銘酒銘菓」と宣伝していますが、やはり武士の時代、加賀前田家と家臣団には厳しい士風があったのでしょう。

いつもお世話になります   田舎侍 : 2016/06/02(Thu) 08:30 No.595
1 いつも楽しく拝見させて頂いています。

ツタンカーメンの副葬品である短剣は隕石由来の物質でできていた(鉄隕石)らしいという説をミラノ工科大学が蛍光X線による分析をもとに結論づけたという記事がありました。
古代では貴重な金属資源で天からの贈り物としても世界各地で珍重されとも。

草薙剣も黒光りしているとの説があるので もしかするとって事はないですかね。
しかし鉄や銅と比べとても重いのでは??

Re: いつもお世話になります   野ア 準 : 2016/06/03(Fri) 19:37 No.596
6  初期鉄器時代に隕鉄起源と思われるニッケル含有鉄が使われている事は昔から注意されており、1970年代には当時の分析結果からすでに「ツタンカーメンの短剣は隕鉄製」と言われていました。

 今回の調査は蛍光X線分析、すなわちX線を当てて飛び出してくる電子から資料を傷つけずに定量分析する技術による物ですが、発表では分析値がまだ出ていません。

 一方で地中海周辺の鉄鉱石にはニッケル鉱が一緒に採掘されるところが多く、製錬された鉄にもニッケルはある程度含有されている筈だから隕鉄と即断するのは危険、という意見もあります。今回どこまで説得力のある説なのか楽しみです。


Re: いつもお世話になります   野ア 準 : 2016/06/03(Fri) 20:27 No.597
8 追記:外電を探しましたらイタリアとエジプトの研究チームによる分析結果は「ニッケル10.8%、コバルト0.58%で地中海周辺の隕鉄とほぼ同成分」とありました。ハイニッケルですから鉄器時代初期では加工も熱処理も難しかったことでしょう。

50,000カウント記念に   野ア 準 : 2016/05/24(Tue) 08:58 No.593
10  何とカウンターが五万件目でした。趣味の雑談なのに最近閲覧数が増えているのは大発展中の『刀剣電脳倶楽部』の実力のおこぼれを頂いているのでしょう。有難い事です。

 日本刀関連の話題源ですが、江戸時代にベストセラーだった服部南郭(1683-1759)の選になる『唐詩選』から刀剣の取り上げられている詩を二つ。

 「酒泉太守席上酔後作」 岑参
酒泉ノ太守 能(よ)ク剣舞ス
高堂ニ置酒シテ 夜鼓ヲ撃ツ
胡笳(こか)一曲 人ノ腸ヲ断ツ
坐客 相ヒ看(み)テ涙(なんだ)雨ノ如シ

 酒泉は西域、玉門関に近い辺境。駐留の唐軍が太守の剣舞を見ながら酔い、西戎の笛の音に故郷を思い涙する、の意です。ちなみに現代の酒泉は鉄鉱石の産地で酒泉鋼鉄公司の「酒鋼」が知られていますが、製鉄は唐時代まで遡るのでしょうか。


 「鞏路感懐」 呂温
馬 嘶(いなない)テ白日暮レ
剣 鳴テ 秋気来タル
我心 渺(びょう)トシテ際(かぎり)無シ
河上 空(むなし)ク徘徊ス

 旅の詩ですが、剣が鳴るのが秋の気配を示す、というのが興味深いです。研ぎ澄ました刀を秋水とか秋霜というのにつながるようです。服部先生は「秋は金の気ゆへかく言ふにや」と注釈しています。「木・火・土・金・水」の五行の「金」。そういえば万葉仮名で「秋山(あきやま)」を「金山」と書くのも同じでしょう。

Re: 50,000カウント記念に   真改 : 2016/05/24(Tue) 19:46 No.594
9 野崎先生、すごいカウント数ですね!

毎月必ず記事を書いてくださる先生と、ご来場の皆様に感謝申し上げます。
これからも、よろしくお願い致します。

私は今朝、49999でした!惜しかった〜。

弥生時代の鉄器展など   野ア 準 : 2016/05/19(Thu) 08:48 No.592
11  5月18日に大阪府立弥生文化博物館(和泉市)で開催中の「鉄の弥生時代」(4月23日-6月19日)を見てきました。西日本の九州から山陰、瀬戸内、畿内の 立岩・博多(福岡県)、青谷上寺地・宮内第一(鳥取県)、吉野ケ里(佐賀県)、梨ケ谷・成岡A(広島県)、五斗長垣内(ごつさかいと・兵庫県淡路島)、左坂(京都府・丹後)など鉄器出土で話題になった主要遺跡の遺物が多数展示されていました。

 切断・化学分析で鋳造のもの、熱処理し可鍛鋳鉄にしたもの、錬鉄を芯に、鋼で包んだ鍛造の鉄斧、炒鋼法で作られた鋼製品、など科学分析の結果もありました。弥生時代の刀は柄も同体で頭部に環を作り出す物が多い、というのは知っていましたがこの環がない地域もある、鋳造鉄刀で国産の可能性があるものは八尾市大竹西遺跡の鉄刀である、等は浅学にして始めて知りました。

 大陸と交渉のある日本海沿岸に多くの鉄器が出土し、瀬戸内・畿内は少ない。畿内以東で石器が無くなるのは古墳時代からで、以後は畿内の大古墳に大量の鉄器が副葬されるようになる。が定説だそうですが、淡路島五斗長垣内の大規模鍛冶遺跡の様に一挙に定説を書き換える発見もあり、まだまだ不明な点が多いそうです。

 また和泉市立図書館の「いずみの国歴史館」で29日まで「時代小説に登場する名刀」展を開催中とあり、展示品一覧を弥生博物館で頂きました。

 楠木正成の「小竜景光」、柳生十兵衛の「和泉守兼定」、鬼平犯科帳の「宇多国宗」・「井上真改」、国定忠治の「加賀の住人小松五郎が鍛えし業物」、木枯紋次郎の「志津兼氏」などです。大半が個人蔵のようです。

会期延長のようです   野ア 準 : 2016/04/23(Sat) 16:10 No.591
10  京都北野天満宮に行ったら宝物館に「宝刀展 4月16日―5月31日」と掲示が出ていました。1〜3月の延長の様ですが、今回は「刀剣乱舞」との共催ではないようで、マニアで混雑という雰囲気ではなくじっくり拝見できました。

 図録・解説ところか展示品一覧もチラシ裏の簡単なものしかなく、メモをとりましたが主要な展示品は前回と同じ、気付いた限りでは小太刀・刀・脇指など数点が展示替えされていました。

 刀剣展示にゲームマニアが行列、は一段落したようで、京都国立博物館の春〜夏の予定でも「武家の服飾」「刀剣の拵」がある程度でした。

フイゴの神社   野ア 準 : 2016/03/21(Mon) 13:47 No.590
8  大阪市天王寺区生玉町の生国魂神社に行きました。生島・足島大神と大物主大神をまつり、「難波大社」と称し旧官幣大社、通称「生玉=いくたま」神社で大阪三大夏祭の一つ「生玉祭」で有名です。

 ここの境内社に「鞴神社」があります。金属・鉱山・鍛冶・鋳物の神社は各地にありますが、送風機としての鞴=フイゴの神は全国でここだけ、と昔産業技術史の文献で紹介され、行って見たいと思っていたのですが「普通の神社です。神宝も鞴の展示もありません」と言われて断念したことがあります。

 本殿の東に境内社が城方向八幡(きたむきはちまん=大坂城の鬼門守護)神社、鞴神社、家造祖神社、浄瑠璃神社と四社並んでおり、鞴神社は大きく、玉垣内に銅板葺の本殿と、屋根をかけた小さな鍛冶炉がありました。

 祭神は天目一箇神(あまつまひとつのかみ)、石凝杼売神(いしこりどめのかみ)、香具土神(かぐつちのかみ)で、祭日は11月8日、刀匠による鍛錬奉納があるとあります。説明には「鞴とは火起こしの道具で鍛冶を始め製鉄、製鋼。鋳金など機械工具を扱う金物業界の守護神として篤く崇敬されている」とありました。

 拝殿には平成二年社殿改築の時の寄贈者名入りの奉納額があり、大阪と堺の企業名、商業組合名がありました。

 江戸時代の大阪天満は箱フイゴの産地で、名工が輩出し、全国から天下の台所に米を運び込む商船の帰り荷として諸国に販売、箱フイゴのことを「天満」「伝馬」と呼ぶようになった程なのでここに鞴の神が祭られる様になったのでしょうか。関係資料が絵馬だけで、名工の造った箱フイゴの説明図解ぐらいは掲示して欲しいと思いました。

タコと女神と宝剣   野ア 準 : 2016/03/10(Thu) 09:23 No.589
11  昭和15年に奈良県橿原神宮の莵田茂丸(うだ・いかしまる)宮司が平凡社から出版された『橿原の遠祖』という神武天皇御一代記があります。

 何分にも「紀元は二千六百年」の記念誌、大陸に事変の戦火が燃え上がっていた時代ですので勇ましい記述頻発の書ですが、その中に九州の美美津を出航し豊予海峡の難所に至った神武天皇の艦隊が日向泊に停泊中「この時たまたま海中に怪光あり。この黒が浜に住む黒砂(くろすな)といふ女神と、白浜に住む真砂(まさご)といふ姉妹の女神とが海の底に潜って正体を探した処が、一匹の大きなタコが一振の宝剣を抱いてゐたので、二人の女神は早速にこれを討ち取ってその宝剣を奪い、天皇に奉った」とあります。

 著者はこの神社の伝承を「海の『八岐大蛇』伝説」と考証されています。日向泊は今の大分県大分市の、銅精錬所で有名な佐賀関で、この宝剣を祭り航海安全を祈ったのが同地の速吸日売神社とされています。現在の同社は加藤清正や近世の藩主細川家の再建になるもので、ネットで見る限りではこの海中出現の宝剣のその後については不明でした。

「焼き入れ鋼は潮風に弱い」といい、もっとも腐食環境の厳しい海中でタコはどうやってこの宝剣を保存・管理していたのかが問題でしょう。また黒砂・真砂は「いさご」「まさご」と読む説もあり、黒い浜砂鉄のようです。

松山藩主の奉納刀   野ア 準 : 2016/02/05(Fri) 20:14 No.588
8  散歩の途次北野天満宮の刀剣展を再訪しました。地方作の奉納刀の中に巨大な脇指があり、「銘・従四位下行予陽州太守兼隠州刺史松平姓源定長 奉寄進」とありました。

 予陽は伊予の南で松山、刺史は国司の唐名ですから松山十五万石の藩主松平隠岐守定長(1640-74)の奉納刀です。
 伊予松平家は源氏ですが、旧姓は久松氏で菅原氏を先祖としていますので家紋に梅花文があり天満宮の信仰も篤い藩でした。

 奉納用の刃幅が広い巨大な脇指には宮城県松島町の瑞巌寺に江戸の大和守安定と弟子の合作という「巨刀」(明暦元年1655年銘)があります。仙台東照宮にも安定同年の作が奉納され、こちらは仙台市博物館の所蔵です。平成四年の仙台市博物館の瑞巌寺展図録の解説によるとこの二振は「奉納用として刃をつけず、刀装も目釘を使わない形式的なもの」だそうです。

 北野天満宮の奉納脇指は刀匠名がありませんが、或いは藩主自らの作刀でしょうか?

天神さまの宝刀展   野ア 準 : 2016/01/25(Mon) 17:31 No.587
11  1月25日の初天神に京都北野天満宮に行きました。3月13日まで「北野天神宝刀展」を見て来たのです。

 楼門を潜ったら梅の咲き始めた境内に長い行列ができており、一瞬宝物殿に行列ができているのかと思いましたが、神社頒布所での「恵方巻き」を求める列でした。あれは節分の夜だと思ったのですが。


 展示は「重文・伯耆安綱作鬼切丸(髭切・平安時代)・、最上義連氏寄贈」「重文・刀(太刀)国広・慶長十二年豊臣秀頼公寄贈」「重文・太刀・青江恒次(鎌倉時代)・元禄十五年加賀藩主前田綱紀公寄贈」「重文・太刀・備前師光(鎌倉時代)・宝暦二年前田兼熙公寄贈」「重文・太刀・備前助守(鎌倉時代)・前田斉泰公寄贈」それに「太刀・伊賀守金道」「短刀・銘猫丸(伝・菅原道真公愛刀)」「渡唐天神図彫短刀・大慶直胤」「巨大脇指・銘定長」「一関士源宗明作文久元年」など、江戸時代の奉納刀剣を中心に36振、糸巻造、衛府太刀造など拵も9点、薙刀、甲冑二両と面頬なども展示されており「天神さまは軍神でもあった」の説明通りでした。

 大寒波とのことですが京都は雪も積もらず、冷たい強風だけでした。

| 1 | 2 | 3 | 4 |  []