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嘉吉元年(1441)暴政で恐れられていた室町将軍足利義教が播磨国守護赤松満祐に暗殺される事件がありました。『嘉吉の乱』です。
この事件は公卿の日記など同時代史料が沢山あり、軍記物は大半「潤色・誤解が多い」と退けられていますが、暗殺の原因から播磨に戻った赤松満祐と討伐軍の山名持豊との戦いと一族の自決、赤松家再興までをえがいた『嘉吉記』が群書類従に収められています。
この中で暗殺を決意した赤松満祐が「鍛冶にて世にはやる備前泰光に刀三百腰打せ」、三百人の勇士に与えて暗殺部隊を結成したとあります。 嘉吉元年6月24日、カルガモの雛を披露との事で赤松邸を訪れた将軍義教は乱入した赤松の家臣たちに押さえつけられ、安積(あづみ)行秀(播磨宍粟郡の人)に首を刎ねられました。
史実か噂だけだったのかは別として「将軍暗殺のための刀」を特注で大量生産したと言われたら備前鍛冶も赤松氏没落後は大変だったのでは、と調べましたが、鍛冶叢伝の類にはこの記事はなく、備前で「ヤスミツ」と名乗る刀匠の逸話中にも見えませんでした。徳川将軍家に祟るという村正のような伝説にはならなかったようです。
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