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古代中国・越の名剣「泰阿」   野崎 準 : 2015/04/09(Thu) 07:54 No.561
11  図書館で『越絶書』を見つけました。中国春秋時代の越国の歴史書(成立は後漢時代)で『呉越春秋』同様刀剣の記事があります。今まで『呉越春秋』の注釈で読んでいた「泰阿の剣」の原文を読んできました。巻十三、越絶外伝記宝剣 です。

 「越王は家臣風胡子に命じ、鍛冶の名工、越の欧冶子と呉の干将を招き名剣を作らせた。二人は茨山を鑿し、谷の鉄英を採って『龍淵』『泰阿』『工布』という三枚の名刀を製作した。隣国の晋の鄭王がその刀を求めたが許されなかったので師(軍)を発し城を囲んだ。三年の籠城の後に越王が城壁に登り『泰阿』の剣を振ると晋の三軍(前・中・後軍、合計37,500人)は一瞬にして破敗(潰滅)した。士卒は迷惑(恐れて逃げまわる)し、流血は千里に及び、猛獣は欧胆(内臓を吐く)し、江の水は折揚(巻き上がる)した。鄭王の髪は恐怖で真っ白になった。
 越王は風胡子に『これは何の効果か?』と聞いた。風胡氏が、『遠い神農らの時代には石が兵に、黄帝の時には玉が、禹(う)王の時代には銅が兵に化したと申します。今王の徳が天に認められ鉄の剣が兵となりました。三軍を威服させ、天下にこれに勝つ者はありませぬ』と答えた」

 記録されたのは後漢時代ですから取材した派手な伝承を合理的に、筆を抑えて書いたのでしょうが、動物が内臓を吐いて死んだ、大河の水が巻き上がった、というのは衝撃波ですから、核爆弾なみの大爆発が敵軍を薙ぎ払ったのでしょう。
 泰阿(太阿とも書く)の剣は、呉越春秋には青銅器と誤解している記述がありますが、越絶書の原本では明らかに鉄剣だと明記しています。
 なお「石」は打製石器、「玉」は磨製石器、「銅」は青銅器で、「中国人はこの頃から旧・新石器時代と青銅器・鉄器時代を知っていたのだ」という説もあります。

 本書の編纂された後漢時代には倭国の使者も都の洛陽に来ていましたから、日本神話の神剣伝説に影響がなかったとも断定できません。文明開化から70年で「46サンチ主砲九門を斉射したら甲板上の実験動物は内臓を吐いて死んだ。砲弾1発が直撃すれば一個旅団(1000人)が潰滅する」戦艦大和を造った国でしたから。

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