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面影丸のこと   野崎 準 : 2015/05/01(Fri) 21:22 No.562
11 『太平記』元弘三年(1333)5月21日、新田義貞の軍に攻められて鎌倉幕府滅亡の時、幕府の勇将長崎勘解由左衛門為基が

「為基が佩たる太刀は『面影』と名付けて来太郎国行が百日精進して百貫にて三尺三寸に打ったる太刀」を奮って戦い、「その切先に回る者、或いは兜の鉢を立破りに破られ或は胸板を袈裟がけに斬って落とされ…敢えて近づくものなかりけり」
その後は為基・太刀ともに行方知れずになった、とあります。

 近藤周平「本朝名刀伝」(雄山閣『日本刀講座』五)には「長さ三尺五寸、価格は百貫とあるのは土地で後の千石に当る、当時は名刀の価格は莫大なものであった」とされ、この刀は長崎と共に行方が知れなくなったが、足利義明が天文七年(1538)北条氏との合戦で討死(国府台の戦い)した時の佩刀で、この時も行方を知らず、近年生駒家(元讃岐高松藩主)に「面影」と称する国行の刀が出たのを拝見したことがある、と結んでおられました。

 「面影」という名の由来は記録されていません。「抜き放つと顔が写るから」、という説を聞いた事がありますが、かくも修羅場を潜り抜けた名刀なら「誰とも知らぬ人の面影が現れる」、の方が神秘的な気がします。

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