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日露戦争前夜の明治33年(1900)に日本最初のSF,しかも海洋冒険ものの『海底軍艦』を発表した押川春浪(1876-1914)という作家がいました。インド洋の離島に日本海軍の精鋭が秘密基地を作りスーパー潜水艦「電光」を建造、欧米・特に当時日本を脅かしていたロシア帝国の秘密艦隊と闘う物語です。当時の潜水艇は南北戦争当時の人力水雷攻撃艇よりやや進歩した程度、潜望鏡もなく、潜水母艦随伴で沿岸防御か敵港湾の短時間潜水による奇襲攻撃がやっとという時代に、ヴェルヌ『海底二万里』(明治3年1870出版)のノーチラス号も凌ぐ巨大潜水艦が登場します。
その初版本の復刻を古書市で見つけました。驚いたのは『海島冒険奇譚・海底軍艦』の表紙裏に揮毫「海国大日本 明治庚子(33)年 碧海祐了」と題辞があり、日清戦争時の連合艦隊司令長官伊東祐了大将(号は碧海、のち伯爵・海軍元帥)の墨跡でした。その後に、のちに日清・日露戦争海戦史の編纂で有名になる小笠原長生少佐、当時欧米観測船の荒らし回っていた北太平洋で旧式軍艦(初代)「大和」で地味ながら現在も通用している測量・観測を続けていた海軍水路部の肝付兼行少将、吉井幸蔵少佐、上村経吉少佐が何れも名文の、日本人の海洋への関心を涵養しなくてはならないという献辞を寄せていました。本文も海軍軍人が校閲しています。流石に軍人の階級や命令系統、武器・工作機械の説明はエンジニアの多い海軍の校閲で、後の冒険小説・マンガのようなひどい間違いはありませんでした。
そう言えば戦前日本アニメの最高傑作という『桃太郎の海鷲』なども海軍がスポンサーだったそうで、海軍の広報はスマートだったのだなと感心しました。
子供向けですが登場人物は大人ばかりで海軍に英国製巡洋艦を私費で寄贈する大富豪の子息で事件に巻き込まれる浜嶋日出雄少年と言うのが出てきます。まだ八歳ですが、海底軍艦完成の祝賀会で薩摩琵琶を弾く水兵にあわせて剣舞を舞い、喝采を浴びます。 その続編『英雄小説・武侠之日本』では新型巡洋艦上の祝勝会で詩吟が演じられ、年少士官が「剣舞を舞いたいのだが士官の短剣では」と嘆くと艦長が直ちに部下に命じて「備前長船の名刀」を艦長室から持参させる場面がありました。 簡単なようですが当時の鋼鉄艦は磁気羅針盤の補正に苦しみ、磁気羅針盤のある艦橋や戦闘指揮所には鉄製品の軍刀は持ち込みが禁止されていたのを踏まえての描写です。
日露戦争日本海海戦でこの規則を敢えて破って皇太子(後の大正天皇)より拝領の軍刀を佩びて指揮を執った東郷元帥だけではなく、明治の日本海軍にも日本刀の伝統は続いていたようです。
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