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昭和15年に奈良県橿原神宮の莵田茂丸(うだ・いかしまる)宮司が平凡社から出版された『橿原の遠祖』という神武天皇御一代記があります。
何分にも「紀元は二千六百年」の記念誌、大陸に事変の戦火が燃え上がっていた時代ですので勇ましい記述頻発の書ですが、その中に九州の美美津を出航し豊予海峡の難所に至った神武天皇の艦隊が日向泊に停泊中「この時たまたま海中に怪光あり。この黒が浜に住む黒砂(くろすな)といふ女神と、白浜に住む真砂(まさご)といふ姉妹の女神とが海の底に潜って正体を探した処が、一匹の大きなタコが一振の宝剣を抱いてゐたので、二人の女神は早速にこれを討ち取ってその宝剣を奪い、天皇に奉った」とあります。
著者はこの神社の伝承を「海の『八岐大蛇』伝説」と考証されています。日向泊は今の大分県大分市の、銅精錬所で有名な佐賀関で、この宝剣を祭り航海安全を祈ったのが同地の速吸日売神社とされています。現在の同社は加藤清正や近世の藩主細川家の再建になるもので、ネットで見る限りではこの海中出現の宝剣のその後については不明でした。
「焼き入れ鋼は潮風に弱い」といい、もっとも腐食環境の厳しい海中でタコはどうやってこの宝剣を保存・管理していたのかが問題でしょう。また黒砂・真砂は「いさご」「まさご」と読む説もあり、黒い浜砂鉄のようです。
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