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加賀の士風   野ア 準 : 2016/06/25(Sat) 21:33 No.598
11 戦国時代の文書展を見ていましたら、文書だけでは持たないのか戦国武将の肖像画も展示されていました。
風林火山の旗を背にした武田信玄、小袖姿の織田信長らの肖像に混じって、馬の鞍に生首をさげ、槍にも生首を貫き、返り血に染まって進む若き日の前田利家の像がありました。この絵はどこかで見た記憶がある、とインターネットで検索しましたら同じ図が沢山ヒットし、石川県立博物館、高岡市立博物館などの解説によると、「若き日の利家が信長に反抗して出仕を禁じられていた時に桶狭間の戦いが起こり、独断で出陣して首を三つ取ったが帰参は許されなかった。しかし『槍の又佐』の勇名は天下に鳴り響いた、という故事による。江戸時代に前田家が京の宮廷画家岸駒に画かせ、家臣も好んでその模写を入手したので、加賀の旧家には多数保存されている。藩士はこの図を正月の『めでた掛け』に使用した」とありました。絵によっては首の数が増えているものもあります。

北陸新幹線開通で金沢市などでは「加賀百万石は武家文化と美食の国。加賀友禅・九谷焼・越前蟹に銘酒銘菓」と宣伝していますが、やはり武士の時代、加賀前田家と家臣団には厳しい士風があったのでしょう。

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