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三春秋田家の名刀   野崎 準 : 2016/10/13(Thu) 10:27 No.606
11  福井県小浜市に行きました。日本海に面した小浜港から少し丘陵地帯に入ったあたりに「羽賀寺」という古寺があります。開山は奈良時代で元正・村上両天皇の勅願寺、本尊の十一面観音ほか重文の仏像三体がありました。

 お寺の解説では「大河ドラマ『炎たつ』の安倍貞任の子孫」となっていましたが、津軽の戦国大名安東康季が室町時代永享八年(1436)から11年かけて衰微していた羽賀寺を再建、その子孫安東(後に秋田氏)実季も文禄二年(1593)から修理を行っていることが同寺の縁起に見え、安東実季書状などの文書も伝えています。
 津軽の安東氏は後に常陸国宍戸、更に陸奥国三春に移封させられ、系図にも不明な点が多いそうですが史料の少ない北東北の貴重な記録になっています。

 昔考古学の先生に、「昭和14年に秋田子爵家の文化財が某帝大に寄託され、膨大な古文書で大いに研究が進展したが、宝物の中に刀剣十数振があり、いずれ劣らぬ名刀揃い。筆頭は備前友成だった。友成といえば日本刀完成期の古刀の優品で、神社の神宝、摂関家など高級公家に伝わるものが大半なのになぜ三春五万五千石に伝わったのか?」と教えて頂きました。

 室町戦国の地方大名は意外と都で皇室や公家との繋がりを大切にしていたようですが、津軽安東氏も勅願寺で皇室とつながりの深い羽賀寺を中央権力との友誼に利用していたのではなかったか、と思いました。勅願寺は全国各地にありますが、若狭国は日本海沿岸の物資を陸揚げし、琵琶湖経由で都に送る要地で、都との結びつきの強い地でしたから。

 その先生のお話に「秋田子爵家寄託品の刀剣に祢々狐狸(ねねこり)の脇指という重代の宝があった。藩祖公の母君がねねこりという妖怪に悩まされていた時、この脇指が自然に抜けて妖怪を切り殺したという伝説があった。添えられた『折り紙』も帝大古文書学の教材に用いられるほどの貴重なものであった」とか。

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