2007年7月1日 第2回出題「藤原運寿是一」


 今回は、「運寿是一」でした。
 長運斎綱俊の甥で、通称「政太郎」と称したと言われます。

 お嫁さんは、綱俊の娘という、江戸石堂の名家「石堂是一」の名跡を継いで七代目になるとともに、「幕府お抱え工」の刀匠して「嘉永武鑑」に所載されています。
 明治二十四年十一月二十四日、亨年七十五歳で生涯を終えています。
 天保十四年ごろが初期作とみられ、「濱御殿、表に藤原運寿是一作之、裏に御腰物奉行勤役中・・・以下略」の銘文のある刀が現存するとともに、「伊勢皇太神宮」の所蔵刀にも「葵紋」を切った運寿是一の作刀があると聞いております。

 作柄は、本来の備前伝は匂い本位で丁子乱れなどを焼きますが、本工並びに一門は沸でこの刃文を焼きます。

 特徴として、刃中一面が小沸出来の丁子足入りの刃文になることですね。
 幕末から維新の激動期に活躍した「是一」ですが、廃刀令以後の作品を見ることはありません。

 弟子には会津の「二代目角元興」、「会津兼友」、水戸の「勝村徳勝」が、直接の門人には「運寿信一」「運寿俊一」がいます。
 作刀が少ないですが、出来の良い物を残しています。

 今回も、一ノ札で大多数の方が「当」をとっており、まこと結構な入札でございました。
 今回、「否」で二ノ札を躊躇された方がおりましたが、所詮シロウトのお遊びです。
 構えず気軽に入札をお願いします。

 ちなみに、私なんぞは画像投稿掲示板の某氏の誌上鑑定で、「否」を頂きました。【大恥】
 しかしながら、二ノ札では「同然」或いは「当」を取れる刀なので、その辺が入札鑑定の面白さです。
 判者がこの程度ですので、皆さんもっと気軽に入札鑑定を楽しんでください。

「入札鑑定教室」、これからもご愛顧を賜りたく存じあげます。

                        竹屋主人