2007年8月11日 第4回出題「相州住廣正」


 今回は、「相州住広正」の平造りの小脇差でした。

 余り馴染みのない刀工でありますが、江戸時代には「相州広光」や「秋広」に化けているものも少なくありません。

 私の古くからの刀友は、以前「特別貴重刀剣」の認定書が付帯している「相州秋広」の小脇差(ウブ無銘)を所持しておりまして、これを「特別保存審査」に再度鑑定に出したところ、「相州広正」で帰って参りましたが、やはり今回の出題刀と同じく、皆焼で指表に不動明王の梵字と護摩箸の彫りのある出来の良いものだったことを思い出しました。
 体配は一見応永備前風で、同じ末相州でも「綱広、総宗、康春等」の作柄とは少し違うものであることを見て取れ、ここに鑑定の難しさを感じた次第です。

 今回の入札も波乱含みで、「堀川国広(天正打ち、堀川打ち)」・「平安城長吉」・「相州秋広」などなど色々な札があり、今回の出題の難しさを物語っているようでした。
 柴田先生の解説にもございますように、「広光・秋広」は「準同然」に末相州の「綱広」までを「当」とさせて頂きました。 
 今回は、一ノ札個銘当たりは2〜3名ということで若干寂しい感じがありましたが、ニノ札ではほとんど方が「綱広」へ入札されていました。

 しかしながら、竹屋主人としては「広光・秋広」が準同然ならば、「綱広」も準同然で良いようにも思います・・・。
 なぜかと申しますと、以下の要約のとおりでございます。

 南北朝期の「広光・秋広」の後の相州鍛冶は、天文頃の「綱広」の登場まで槌を振るう音が聞こえないようですが、実は今回の「広正・正広」や「秋広の弟子の秋義」あるいは島田鍛冶と関係があると言われる「広次」などの諸工が、栄華を極めた相州伝を脈々と受け継いでいたことを忘れてならない、と思いますが如何なものでしょうか?

 暑いさなかの入札、有難うございました。
 それでは次回をお楽しみに。

 竹屋主人