2007年8月31日 第5回出題「備州長船兼光」


 今回の出題は、「備州長船兼光、延文二二年五月日」の年紀の短刀でした。

 柴田先生の解説のとおり、「景光」「兼光」及び「元重」「兼光一門」については「当」とさせて頂きました。

 皆さんご存知のとおり「兼光」は「景光」の嫡男として弘安元年に生まれ、「孫佐衛門」と称し、またある書籍には延文五年没八十三才と記載されております(延文六年紀の作があると聞きますが、前倒しで作刀されたもの?)。
 その作刀期間が五十有余年の期間があるため、よく二代説の論議がされております。
 その説によれば、元亨より弘安紀までのものを初代として世に言う「大兼光」と、二代を「延文兼光」と分け、それが定説のようになっておりますが、違った意見としては単なる作域の変化として同人説を唱える先生方もおられます。

 私も、本当に二人の「兼光」がいたのかどうかは、直接「兼光さん」にお会いしたことがないので、なんとも言いがたいのです。

 今回は、一ノ札で「景光」の札が圧倒的でした。
 やはり、特徴ある「肩落ち互ノ目」の刃文からでしょうか。
 ついで、本命の「兼光」或いは「元重」「基光」などの札があり、大変結構な入札でございました。

 ここで、私流に鑑定の要訣を述べさせて頂くと、「景光」の地鉄は精美で肌立つものが全くではないが非常に少ない。
 「兼光」は逆に「地景」が細かく入り、肌が立ったように見える。
 これは「兼光の蝉肌」と呼ばれておりいます。
 また、間延びしたような、或いは整然と並んだ「肩落ち互ノ目」に帽子が乱れ込んで先が尖るのが「兼光」の特徴で、これは「兼光帽子、蝋燭の芯」などと言われています。
 「景光」は帽子が乱れ込んだものは少なく、乱れ込んでも国宝の「元亨三年紀、秩父大菩薩」の彫りのある短刀のように、多くは先が丸く返ります。
 例外的に同じく国宝で「嘉暦二二年紀の景光・景政合作刀」の佩表の帽子のように尖るものがありますが、ものの数から申せば「尖る帽子」は圧倒的に「兼光」に多いということですね。

 「元重」は、頭が揃って「兼光」の「片落ち互ノ目」に似たような刃文を焼くのを手癖として、帽子が尖り気味のものが多く「青江物」にも良く似ると言われ、また地鉄は、「備前に柾なし」との鑑定の奥義がありますが、「元重」に関してはこれが当てはまらず、ほとんど柾目肌を呈した「元重」を経眼しております。
 また、直刃の作では匂口締り「逆足」が鋭く入るものがあり、これを「追い駆刃」と申しまして、「元重」のもう一つの特徴でもあります。
 『古今銘尽』では、「鍛え柾目肌にしていかにも細やかなる杢肌あり墨肌もあり、備中太刀の如し」と記述されております。

 「基光」は「兼光」を中心とした当時の長船工房の名工で、「倫光、政光、義光」などの諸工とともに槌を振るい腕を競っておりました。
 以前、「義光」の刀を入札させられて「景光」と答え、「同然」を頂いたことがあります。
 やはり、一門は作風が近似するものだと納得したことを記憶しております。

 鑑定には、絶対というものはありません。
 変作、珍品、奇作などなど、一人の刀工でもその作域は多岐に渡ります。
 その辺をご理解の上、今後も電脳鑑定倶楽部を宜しくお願いします。

 さて、次はどんな鑑定刀が出るかお楽しみに。  
 
 竹屋主人