2007年11月2日 第8回出題「義助作」


 今回の答えは、「駿州島田義助」でした。

 大多数の方が一ノ札で「義助」に入札されて、大変結構でございました。
 また、一部の方々が「島田助宗」等に入札されておられましたが、今回はこれら島田鍛冶に入札された方々を全て「当」扱いとさせて頂き、「末相州一類」の入札に対しては「同然」とお答えしました。

 室町時代の駿河国は、大河ドラマ「風林火山」でおなじみの武田氏、今川氏、北条氏、徳川氏等の群雄割拠の地であり、初代義助は当初は別の名前であったのだろうが、後に今川義忠の知遇を得て「義」の字を賜り「義助」と称したと、「駿遠豆鑑」という古書に記述されております。

 古刀期の島田鍛冶は全般に技量上手で一名「槍鍛冶」として知られ、「日本三名槍」のひとつ前橋藩松平家伝来の「お手杵」はあまりにも有名でありますが、惜しいことに大正12年の関東大震災のおり、東京淀橋にある松平家屋敷内の蔵の中で消失してしまいました。

 技量上手とは、簡単にご説明するならば「大変器用」な刀工一派ということで、鎌倉期や南北朝期の名工たちとは趣きが異なり、刀を鑑賞し研究する人たちや永年の愛刀家などの上位レベルの人たち、言い換えれば「玄人好み」のする部類のもので、島田鍛冶の作品の中には山城の上工(来派)や相州上工(行光、正宗、貞宗)に見紛うものが現存しており、各伝法を上手にこなす一派と言えましょう。

 島田一派を含めて越中の宇多一派、加賀の藤島一派、備後の三原一派、阿波の海部一派などは、ある意味、好き者の興味をそそり、天狗の鼻折道具として購入欲をかきたてる、そんな要素を含んだ刀工達と言えるのではないでしょうか?
 ちなみに海部一派や島田一派には異様な造り込みの作柄が多く、海部刀の棟を鋸刃状にしたものや、島田助宗には武田信玄の馬手指しとして有名な短刀「おそらく」があり、愛刀家には周知の作品であります。

 義助には、室町時代の康正(1455年)ごろから末古刀期までに4代くらいあると言われておりますが、一門は連綿新々刀期まで続いています。
 作柄において地鉄はやや弱いように感じますが、肌目が綺麗なものが多いことが特色であり、刃文は匂本位で粗い沸の付くものが多く、備前風の腰の開いた五ノ目乱れ、大乱れ、皆焼、直刃など前述のとおり五ケ伝の刃文を器用に焼いており、また同時代の末関や村正のような出来ばえの作品もまま経眼いたしております。
 茎もタナゴ腹風のもの、備前風の栗尻のものなど様々ですが、特に短刀においては相州伝風に作刀しても茎尻は備前風に丸くなるのが見所です。
 また、鑢目も勝手下がりや切鑢が多いことも、鑑定における押さえどころです。

 ここで竹屋流要訣ですが、今回の出題のヒントに「薄(すすき)の先のような刃」と言うのは島田一派、なかんずく、「義助」にだけ使われる定型句と言っても過言ではないと思います。

 みなさん、いかがだったでしょうか?
 また次回をお楽しみに。

 竹屋主人