2009年3月1日 第12回出題「千子正重」


 今回の答えは、「千子正重」の短刀でした。

 入札された方々の大半が一の札で当たりを取っておられ、真に結構な入札でありましたが、一部の方々が「ヒント」を考慮せずに「村正」に入札されていたことは少々残念な気持ちが残ります。

 しかし、ヒントがなければ当然、村正に入札されても可笑しくない出題でもあります。
 実刀鑑定でこの刀が鑑定刀として出た場合に、私なら間違いなく「村正」に入札してしまうでしょう。
 今回、特筆されることの一つに、入札において「駿河の島田一派」、「美濃の大道、氏房」の入札が皆無だったことは、参加者皆さんの見識の高さに敬服します。
 
 正重の出自については諸説があり、初代村正の子又は弟(如手引抄)あるいは三代村正の子で四代村正を襲名の後に、正重に改名との資料もあります。

 今回の出題刀は、定寸に近く刃長に僅かに反りのある、一見、鎌倉末期の短刀の体配ですが、フクラ枯れるとありますので、ぐっと時代が下がって室町後期あたりと時代を絞り込む事ができます。
 地鉄は肌立ちごころに流れて、刃文が匂い出来という事から先ずは、末関の兼定や兼元などの兼○と入札しがちになります。

 出題文章を読むにつれて、五の目、箱がかった刃文に表裏揃い、独特な茎などの条件が揃えば「伊勢の村正」か「平安城長吉」と回答を絞り込むことが出来ます。
 しかしながら、出題の文章に茎尻が「先剣形」となっています。「村正」や「長吉」には「入山形、栗尻、刃上がり栗尻」などで「剣形」がありませんので選択肢は村正の弟子の「正重」へとなります。

 余談ではありますが、日刀保の誌上鑑定においても、以前は「余程の確信のない限り千子派の出題に関しては、正重、正真」を外して「村正」と見るべきことが望ましい、・・・以下中略・・・今後典型的作風の正重の出題に対して村正の入札は同然扱いとさせて頂きます。」との文章が、4〜5年前の刀剣美術誌の記述にありました。
 ご参考までに。

 なお、千子派の詳細については、村正が出題された時に解説をいたしますので、それまでお待ち下さい。

                     竹  屋  主  人