2008年5月1日 第2回出題「肥前忠広」


 第2クールの第2問目は、「肥前近江大掾忠広」でした。
 一ノ札でほとんどの方が「当」をとっておられ、誠に結構な入札で御座いました。

 初代、二代、三代ともに近似した作品が多い事により、何れの入札についても「当」と致しました。
 特に三代との違いですが、陸奥守忠吉の作風は豪壮なもの、切先の伸びたものが多く、地鉄も二代に比べてより一層、地沸や地景が加わり強靭さが伺われます。

 また、直刃の刃文でも三代の場合は金筋が入ることが多く、帽子の返りを深くする手癖があることをご承知置き下さい。

 二代近江大掾忠広は長命であるとともに、一門の協力者が多く、息子の陸奥守忠吉を筆頭に孫の四代近江大掾忠吉、行広、正広、忠国、広貞、忠清、兼広、吉貞、吉房等の初二代が良き協力者となっております。
 この根拠として忠広宛に書かれた、これら刀工の誓約書が現存しております。

 余談ではありますが、二代近江大掾忠広の作品は何振りくらい現存しているでしょうか?
 手元の資料によれば、5千振りとも1万振りとも言われています。
 各協力者の初二代が約15〜18名とし、月に2振り作刀すると仮定して36振り、年間に432振り、二代近江大掾忠広の作刀期間は60年とされていますから25,920振り。
 約300数十年たった現在、幕末の動乱や先の大戦、その他天災人災で半数が消滅したとしても、1万振り以上の作品が残されているという事が概算で知る事ができます。
 まあ、あくまで推論の域をでませんが、かなりの作品が残されているのは周知の事実であります。            
 肥前刀は皮鉄が薄いなどと言われるのは、この辺の事から来ているのかもしれませんが、藩からの作刀に関しての示方書には細かく指示がされている関係上、手抜きの作品がなく、良品ばかりが多く残されているため、現在でも高嶺の花なのでしょう。

 肥前近江大掾忠広の代表的な刃文ですが、一つ目は、肥前刀独特の直刃、二つ目は、その直刃をのたれさせたもの、その三に、のたれ刃の谷に沸をこごらせたもの、その四は、小のたれに五ノ目を交えたもの、その五に、丁子に五ノ目を交えたもの、その六は、皆さんご存知の焼き幅の広い足長丁子、七つ目は、表を直刃を焼いて裏を足長丁子にした、所謂、児手柏写し、八つ目は末備前の祐定に見る、腰元に五ノ目を焼き上に直刃を焼いたもの。
 最後に直刃に食違い刃を交えた、末手掻の写しものなどがあります。
 
 このように肥前近江大掾忠広には色々な作柄がありますが、これも前述の大勢の協力者の影響かと思います。
 今回の出題刀は忠広のなかでも、一番得意とした直刃を焼いた典型的な作品と言えるでしょう。
 
 それでは次回をお楽しみに                                
                            竹 屋 主 人