2008年6月1日 第3回出題「備前康光」


 今回の答えは、二字銘の備前「康光」でした。
 今回もほとんどの方が、一ノ札で「当」「同然」を取っておられ、誠に結構な入札で御座いました。

 60数年に及ぶ南北朝の動乱が足利氏の政権掌握により幕を閉じるとともに、それまで伝統的であった公家文化と、新興の武家文化の融合による北山文化が花開きます。
 また、この時代、明との勘合貿易や禅宗を通じて大陸文化の影響も受け、文学では五山文学の代表として「義堂周信」や「絶海中津」が活躍し、軍記物(太平記等)が書かれたのもこの頃であり、絵画では、東福寺の明兆、相国寺の如拙や周文などが活躍、芸能では能や猿楽、狂言が確立された時代であります。

 刀剣類も、この様な時代の影響を受けたのでしょうか。
 前時代の長寸、幅広、大切先となる豪壮な造り込みから一変して、鎌倉時代の太刀に見るような優美な姿になって参ります。
 短刀も、鎌倉時代のものをそのまま寸だけを長くしたような作柄で、鑑定歴の長い方なら一見して応永時代と見極めてしまうほどの特徴ある姿をしております。

 さて、今回の「康光」は、諸処の刀剣書によれば備前重吉の子などの記述が見られますが、備前重吉とは、「黒んぼ斬り」の作者として有名な長船景秀(兄は長船の祖、光忠)の系統で、同名数代続きます。
 一門には、小反備前の技量上手「小反成家」がおります。

 今回の入札では「直刃」と「棒映り」いうことで、大半の方が「康光」へ入札されとても賢明な入札と言えるでしょう。
 しかしながら「盛光」「康光」の違いを、乱れ刃と直刃だけで区別するのは少し危険があります。
 また、「棒映り」も応永備前の特色かのように思われがちですが、実際のところ、この時代の刀には「乱れ映り」も「棒映り」同様に多くあることをご承知置き下さい。
 また、この映り(古い書物では「移り」)という言葉を使い始めたのは、私の先祖が元亀(1570年)ころから用いたようで、「竹屋直正伝書」という本には「移リト云ハ刃ト鍛ノ会ニ、煙ノ立チタルヤウニ、何トモナク金色、少シ異様ニ見エタリ」という記述があります。

 ここで、竹屋流鑑定の要訣として、「盛光」と「康光」の作風の相違についてご説明いたしましょう。

 1.全体に見て「盛光」の方が上手である。
 2.尖刃の少ない、大らかで丸みがあり、柔らかい感じの刃文は「盛光」に多い。
 3.平造りの小脇差では、下部が大模様で上部が小模様の刃文になるのは「盛光」に多い。
   「康光」の場合はその逆が多く見られる。
 4.帽子の返りが、「康光」より「盛光」の方が深い。
 5.「康光」は前述のとおり「小反系」の刀工を縁者に持つためか、刃文が、こずんだり、尖心の刃が多く、 
   硬い感じのするものが多い。
   多少ではあるが、「盛光」の応永一桁代の作品にも存在する。
 6.「康光」には、「一文字風」の丁子刃や「近景風」の直刃に逆足入りのものがある。
 7.「康光」には「盛光」より焼きの弱いものが多いと言われ、刃文が沽み勝ちで刃中に刃染みが見られる。
 8.「康光」には刃文の焼頭が匂いで、地の方に煙り込んで尖るものがある。
   これを鑑定用語で、「尖りの康光」という。
 9.最後に末備前ものは俗銘入りのものが注文打ちとして評価が高いのですが、応永の「盛光」「康光」に 
   はニ字銘のものに良いものがあると言われています。

 皆さん如何だったでしょうか。
 応永備前の小脇差を、堪能されましたでしょうか?

 それではまた、次回の解説まで失礼いたします。
 
                            竹 屋 主 人