2008年8月1日 第5回出題「越中則重


 今月号の答えは、「則重」でした。

 ほとんどの方々が早い時期の入札で当たりを取っておられ、まことに喜ばしい結果となりました。
 則重は、鎌倉末期の越中国婦負郡呉服の刀工で、姓を佐伯氏、九郎三郎と称して、郷の則重と
呼ばれて人口に膾炙しております。
 越中国は正宗十哲の一人、江義弘の出生地でもあり、また宇多一門が古刀期から新刀期まで連綿として槌を振るい、刀鍛冶が繁栄した土地でもあります。

 室町中期以降の刀剣書によれば、則重は正宗十哲の一人として数えらえていますが、現在ではその作風により、正宗の弟子というよりは相州の新藤五国光門であろうと考えられています。
 然るに名工正宗とは、兄弟弟子ではなかったのではと推測されます。

 則重の現存する作品には太刀・刀が少なく、短刀が多く残されております。
 これは、則重の活躍した鎌倉末期という時代背景に起因していると思われます。
 古来より短刀の名手として、粟田口吉光新藤五国光を双璧として、これに次ぐ刀工はと言えば、左文字と則重だと言われております。

 作柄ですが、一般に正宗の地鉄に良く見る、硬軟の鉄を組み合わせた相州伝独特の鍛錬法であり、刃文は、古備前風の古調な感じの小乱れと、飛焼や湯走りが絡み合って出来た皆焼があります。
 地鉄は、正宗より金筋・地景が目立ちますが、前述の硬軟の鉄を組合わせた地鉄に地沸が激しく、一部は沸凝り、あるいは沸崩れたりして、杢目肌を主に板目肌が混じり肌立ち渦巻く肌を地景と絡み、併せて北国物の独特な黒い地肌と相俟った、いわゆる松川肌と呼ばれる独特な肌合いを見せるのを特徴としておりますが、このためか地刃が濁り気味で正宗の冴えた地文には及ばぬ感があります。

 則重の皆焼は、地沸の塊が集まってそれが湯走りの連続で構成されるのに対して、相州本国の広光や秋広、あるいは長谷部に見る皆焼は、湯走りが強くなり完全な飛焼きとなり、金筋、稲妻などに変化をつけて砂流しの目立つ派手な作風となります。

 2〜3年程前に都内某所にて、則重二字在銘の太刀を入札鑑定した折、見事外してしまった経験があります。
 どう見ても、古備前にしか見えないのです。
 それ以来、則重とういう刀工はちょと苦手な刀工といった感があります。
 しかしながら今回、解説文を執筆しながら、何となく則重という刀工を少し理解出来たようにも思えます。

 ここで竹屋流鑑定の要訣をひとつ。
 則重の短刀などで良く「筍反り」という言葉が出て参りますが、「筍反り」とは内反りでしかもフクラが枯れていなければならないという説があります。、
 いかにも、タケノコの様な感じがしますね。
 また、これとは別に「鎧通し」という短刀がありますが、これは鎧の小札の間から敵を刺して致命傷を負わせたり、敵の首を掻っ切るのに使用する短刀ですが、別の使い方として忍者の棒手裏剣のように石垣の間に突き刺し、登山で使うハーケンのような用い方をしたという記述もあります。
 ご参考まで。
  
 鎌倉鍛冶の得意とする硬軟の鉄を巧みに操り、鍛え肌と刃中の沸の変化に妙味をみせる則重の作品、皆さん堪能されましたでしょうか?
 
 それでは皆さん、次回をお楽しみに。

                            竹 屋 主 人