2008年12月1日 第9回出題「多々良長幸


 12月の答えは、多々良長幸でした。

 彼は、石堂一派の刀工中で群を抜いた名工で、新刀備前伝の第一人者であります。
 紀州石堂の河内守康永の門で鍛刀を学び、その後、自身の才覚を遺憾なく発揮するために大坂に出て、大坂石堂の一人として活躍した刀工です。
 
彼の作刀時期は延宝・貞享頃を中心に活躍し、津田近江守助直や坂倉言之進照包などと同時代の刀工です。

 彼の作域ですが、刀・脇差の作品が多く短刀・薙刀・槍等の作品を見ません。
 刀姿はこの時代の他工と作風を異にして、室町中期から後期にかけて見受けられる先反りがついて寸の短い打刀風のものや、2尺3寸5分くらいの定寸の刀を大磨り上げの太刀風に作刀したものを多く見ます。

 これら作品には彫物がなく、あるとしても棒樋程度であり、当時の時代背景とは裏腹に実用を重視した造り込みであり、最上大業物に列せられているのも頷けます。
 
 鍛えは小板目が良く詰むもの、やや肌立ったものを見受けますが、いずれも鎬地が柾になります。
 また、映りが鮮明に出たものもあり、私もその昔、長幸が鑑定刀にでた折「時代違い否」を頂いた苦い経験があります。

 新刀備前伝をお家芸とする石堂諸工にあって、古作を忠実に再現しようとした彼の作品は大房丁子の一文字風のもの、応永備前の盛光写し、刃長の寸尺そのままに茎も短めにして刃文に複式五ノ目を焼き、まるで与三左衛門尉祐定をみるような打刀など、備前の各時代のものを良く写したものがあります。
 
 しかしながら、一文字風のものでもやはり本歌の太刀の様な優雅な曲線美ではなく、なんとなく物足りなさを感じさせ、刃文も匂口が締まって硬く感じるものがありますが、それらが長幸の見所の一つでもあります。
 また、一見末関の和泉守兼定を彷彿とさせるような、尖刃を交えた五ノ目丁子の刃文を焼いた作品も少なからず存在します。

 技量上手の彼の作域に近い刀工として、当たり同然ではありませんが、江戸石堂の日置光平がいます。
 二工を比較して大きく異なる点として、長幸の丁子刃は尖り気味の刃が混じり帽子の刃文も乱れ込んで、先が尖りかげんになること。
 かたや、光平は袋丁子の刃文が目立ち、刃文が乱れ刃であっても帽子の刃文は丸く返ります。

 新刀の鑑定にあたり、本刃(横手からハバキまでの刃文を言います。)と帽子の刃文を見て、「本刃が乱れ刃でもあっても、帽子は丸く返る。」という鑑定の掟みたいなものがありますが、この掟を見事に覆しているのが多々良長幸です。

それに付け加えて大坂新刀の刀工中、焼き出しをハバキ元に焼かない刀工の一人でもあります。
これらは、長幸と鑑定する場合の最大の特徴となりますので、ご記憶下されば甚幸です。

 それでは、今回はこの辺で失礼させて頂きます。

                               竹 屋 主 人