2010年5月1日 第2回出題「泰龍斎宗寛」


 今回の答えは、泰龍斎宗寛でした。

 前回同様に、一の札で大多数の方が「当」をとっておられ、結構な入札結果となりました。

 皆さんご存知のとおり宗寛は、固山備前介宗次の高弟として知られ、奥州白河藩士、大野平蔵の子として生まれ、幼名を隆之進、後に泰介と称しました。宗寛は音読で「ソウカン」と読んでいますが訓読で「ムネヒロ」と読むのが正しいようです。

 安政元年から泰龍斎を称し、嘉永初年頃から下総国古河藩の抱工となり、江戸日本橋箱崎町に居を構えました。
 本来ならば、師匠同様に受領してもよい程の腕の持ち主であるが、生涯受領はしませんでした。その理由というのが、藩主土井利亨公より受領の費用百両を下賜されたが、大の酒好きであったようで全額飲んでしまい京へ行けなくなったという。この辺りは源清麿に似ており、どうやら幕末の名工には酒好きが多かったということでしょうか。

 明治の廃藩置県にともない、藩主の土井家より現在の文京区本駒込に八百坪の土地を拝領し、そこで洋鋏の製作を始め、糊口を凌ぐ。特に剪定鋏の評判が良く、剪定鋏専門の鍛冶屋として繁盛を極める。明治十六年一月二十三日に、享年六十四歳で永眠、東京都豊島区駒込にある染井墓地の勝林寺に葬られる。
ちなみこの勝林寺には、老中田沼意次や、京都見廻組頭を勤めた浅尾藩主蒔田広孝の墓があります。

 弟子には三河刈谷藩工の一専斎寛重、古河住金井信重などがおり、息子の泰龍斎寛次との合作も少なからず残されています。

 作柄は師匠の宗次より反りの少ない、身幅のある部厚い豪壮な体配のものが多く、棟は庵棟、三つ棟があり、切先延びるものや大切先などがあり、稀に小烏丸造りや冠落造り、平造り脇差などの作品があります。

 鍛えは、小板目がよく詰み地沸がついて、やや黒ずんだ地鉄が無地風となり、彼独特の乱れ映りが現れたものがあります。この時代、他にも新々刀で映りを得意とする刀工(大慶直胤など。)がいますが、宗寛の映りは鮮やかで「映りの名手」の呼び名があります。

 刃文は、備前吉井風の匂い出来で、小互ノ目の頭が揃いごころの連れた刃を焼くのを手癖として、彼の作刀期間全般を通じて見られます。小互ノ目の大きさはアズキ粒位のものが標準で、刃先に抜けるような長い足を伴うものが多く、ごく僅かですが足の短い作品もあるようです。

 彼の初期作にあたる、嘉永頃の作品には互ノ目のやや大きいものや、師匠宗次を範とした、刃文に変化を持たせ出入りのある丁子乱れ(宗次丁子とも呼ばれる。)のものがあります。
 後期作にあたる慶応頃の作品には、匂い口が堅く締まり、変化に乏しい単調な小五ノ目乱れの作品が多く見られます。 

 帽子は、細かに乱れ込み先小丸に返るものや、直に小丸返るものなどがあります。宗寛には独特の帽子で地蔵帽子のように倒れて見えるものがありますが、この帽子を私は古墳などから発掘される勾玉に似ていることから勾玉帽子と勝手に呼び、自身の鑑定の要訣としています。

 彫物は少ないですが、彫物技術はかなりの腕前であることが知られています。師匠である宗次の作刀には宗寛の手による彫物があり、宗次作刀の小龍景光写しの龍の彫物は宗寛の彫りとの説があります。
 
 宗寛の中心仕立てですが、新々刀の中心は古刀や新刀に比べて長く造られており、中心尻に控え穴を穿っているものが多く、彼の作品も例外ではありません。中心尻は僅かに刃上がり栗尻となり、ヤスリ目は勝手下がり若しくは、やや深い筋違い風で化粧ヤスリを少し下げて切り出すのが特徴です。

 中心仕立てからヤスリ目、切り銘などの所作から判断するにヤスリ目一つにしても丁寧でムラがなく、しかも美しくかけていることなど、彼の実直な性格が伺い知れます。また、工人らしからぬ隷書体で銘を切ることなど、武家の子供として朱子学や陽明学などを幼い時期に学び、かなり資質の高い見識を持ちあわせていた人物だと推量します。

 銘は棟寄りに大振りに切り、作刀のほとんどに年紀が見られ、初期作には二字銘がままあり、「於江府」又は「江都」あるいは故郷を流れる阿武隈川を冠して「阿武隈川宗寛」と楷書に切るもの、安政四年以降には前述の彼独特な隷書体で「泰龍斎宗寛造之」などと切ります。

 宗次、宗寛ともに「試し銘」や「以餅鉄」と添銘したものを見受けますが、「試し銘」には「於千住、○胴土壇払い、山田源蔵吉豊」などがあります。この山田源蔵吉豊は皆さんご存知の首切り朝右衛門ことです。
また「以餅鉄」の意味は餅のようにモチモチした鉄の意味ではなく、鉄鉱石が山から川に流れ出し、流れに流れて自然に石の角が摩滅して、あたかも丸餅のようになったものを餅鉄と呼んでいます。
 
 今回は幕末の名工、泰龍斎宗寛でした。みなさんご存知のとおり現在、刀剣の価格とりわけ無銘の重要刀剣などは最高値時の三分の一以下の値段で取引されているものがあるそうです。しかし幕末新々刀の良工のものはあまり価格に変動が無いように感じているのは私だけでしょうか。

 それでは、この辺で失礼します。来月をお楽しみに。


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