2010年6月1日 第3回出題「光忠」


 今回の答えは、備前長船派の始祖、光忠でした。

前回同様に、一の札で大多数の方が「当」をとっておられ、結構な入札結果となりました。今回の問題は、上級者にとって少し手応えのないものであったと思います。ヒントがなければ当然、畠田守家などの札があっても宜しいのではないかと思いますが如何でしょうか。

 備前国は古来刀剣の産地として名高く、現在の岡山県南部にあたる吉井川流域では長船派、畠田派、福岡一文字、吉岡一文字、吉井派などの刀工群が鎌倉時代〜室町時代を中心に活躍したことは、既に皆さんご存知のとおりです。

光忠は、鎌倉時代中期より室町時代末期まで繁栄を極めた長船派の祖と言われ、戦国時代の覇者織田信長は、華やかな光忠の作を特に好み、20 数振りを集めました。中でも三好義賢が戦死時に帯びていた「実休光忠」に執着し、集めた光忠の中から、義賢と交流のあった堺の商人に鑑定させ、大いに愛蔵したという逸話は有名であります。
なお、この「実休光忠」は残念なことに本能寺の変で焼失してしまいました。

 光忠は、古備前派の近忠の子とも弟子とも言われていますが、詳らかではありません。古伝書によれは、備前の新田庄の住人で、後に長船に移住したとの記述が見えます。
なお、父の近忠の有銘確実な作品はありません。

 冒頭の表題に「長船派」としたのには意味がありまして、備前国長船在住(現在の岡山県瀬戸内市長船町)全ての刀工を長船派又は長船物とは言わず、今回の光忠を頂点に、その子孫門流が室町時代末期まで繁栄した一大流派のことで、長船正系、長船本流などと称されています。

 長船派は光忠の子である長光、孫の景光の三代の間に、確固たる鍛冶集団の基礎を確立したと言えましょう。
 光忠は古備前派の家筋ではありますが、彼の作風は一文字の作風に範をとり昇華せしめたと言っても過言ではありません。しかしながら彼の前期作には古備前風の作品が少なからずあることもご承知おき下さい。

現存する作品は比較的多く、「光忠」二字銘の太刀と、元来長寸の太刀であったものを後世磨上げて刀にしたものとがあります。在銘の太刀も後世に磨上げて寸法を縮めたものが多く、在銘品よりも無銘極め物の方により華やかな作品が見られます。

 福岡一文字の丁子文を基本に、それに工夫を加えて完成したのが光忠の丁子文であり、頭が丸く腰のくびれた独特の蛙子丁子や重花丁子、大丁子など非常に華やかで、刃中に足や葉を交えて、更には匂口がふっくらとし、どことなく刃文にゆとりのようものを感じとることできます。鍛えは板目が詰んで細かい地沸がつき、映りが無ければ京の粟田口物と見間違えるほど精美な地鉄です。

 ここで簡単に一文字派と長船派の違いについて、述べてみましょう。一文字派は丁子文が主体となり、刃幅に広狭(初心者には解りにくいと思いますが、簡単に言えば刃文の高低が著しいもの。)があるものが多く、賑やかな感じのするものであります。

 長船派は直刃調(刃文の頭の部分を目で追って行くと直線的に見える。)になるものが多く、前述の丁子文に互の目を交える点が特色で、刀身の下半分の刃文は華やかで、上半分の刃文は小出来になるのが大まかな相違です。これを承知していれば、地鉄の状態と併せて観察することにより、一文字派、あるいは長船派の何れかの判断要素のひとつとなります。
ただし、光忠の弟と言われる景秀(伊達家伝来の「くろんぼ切り」と称する作品が有名です)の作品は、丁子乱れで出入りが著しく華やかなものが多く、一文字派の作風そのものと言った作品が多いことを付け加えておきます。
 
 最後に、竹屋主人一押しの光忠の作品を紹介します。

国宝
●太刀 銘光忠(愛知・徳川美術館)ガラス越しではありますが、徳川美術館で実物を観覧しております。
●刀 金象嵌銘光忠 光徳(花押)生駒讃岐守所持(号 生駒光忠)光忠の作刀中、最も華やかな作として知られています。(東京・永青文庫)

重要文化財
●刀 金象嵌銘高麗鶴 伝光忠(個人蔵)1941年指定 小早川隆景が朝鮮出兵の折、佩用したもの。
その他
●太刀 銘備前国長船光忠(三の丸尚蔵館蔵、旧御物)磨上で、茎尻に長銘が残り、直刃小丁子乱れで地鉄よく詰んでいます。光忠が長船鍛冶(居住地名)である証を示した太刀です。

 今回は長船鍛冶の始祖、光忠でした。
それでは今回はこの辺で失礼します。次回をお楽しみに。

竹 屋 主 人