2010年7月1日 第4回出題「延寿国時」


 今回の答えは「延寿国時」でした。

 今回は大磨上げで延寿国時の個銘極めの鑑定刀なので、なかなか答えを出すまでに、躊躇された方も多いのではないでしょうか。

 先般「来国行」のところで解説したとおり、延寿派の祖は大和国の「弘村」と言われていますが、「国村」が延寿太郎と称したことから、実質上の祖は「国村」とされています。「国村」は「来国行」の孫とも婿とも言われています。

 山城の来派から別れて、大和国より肥後国に移住し、菊池氏の抱鍛冶となったのが始まりです。肥後の菊池氏といえば南朝方の忠臣で、勤皇義軍のための軍備増強施策の一環として、延寿鍛冶を京から呼びよせたとの推論がありますが、別の見方をするならば、当時の九州地方の有力御家人たちは、三度目の蒙古襲来に備えて軍備拡張の必要に迫られ、他国から刀鍛冶をはじめとする工人たちを招聘したものと考えるのが妥当かと思われます。

 鎌倉時代の作品を「古延寿」、南北朝時代の作品を「中延寿」、それ以降の作品を「末延寿」と記述する書籍や、鎌倉時代から南北朝時代の作品をただ単に「延寿」とし、室町時代の作品を「末延寿」と記述している書籍もあり、記述に相違がありますが、後者の時代区分の方が理解し易いので今回の解説については、後者を採用させて頂きます。

 延寿一門の作は、太刀のほか短刀が多く、特に南北朝時代には短刀の製作数が急増します。太刀の多くは磨上げられて有銘作はあまり現存しておりません。来派の作風を見せながらも、地鉄や沸え匂いにおいて、一歩、二歩譲る感じのする作柄であります。同銘が数代続き、それら刀工たちの作刀時期が重複するものや同時期に同銘のものなどが混在して、かなり複雑な刀工集団であり、また作風も近似し個性も乏しく、故にこの派の刀工の個銘を当てるのはかなり難しいと言われています。

 太刀の姿は、先が細り一時代古く見えるような姿のものと、猪首風の切先で張りのある武骨ばった姿のもの、細身の太刀には元先の幅差がなく、踏張りが抜けて一見大磨上げ物に見えるものや、鎬が高く、鎬幅が広く、平肉の豊かな大和風が強く現れた作品もあることもご承知おき下さい。

 来派の場合、地鉄は板目が流れ心で、地沸映りが鮮明に現れるものですが、延寿派の場合は総体に流れて柾がかり、更に地鉄が弱く、白気風の映りが現れ、これを延寿肌とも霜降肌とも称して、鑑定の要素となっています。
 また、刀身上に丸く地斑が現れるものもあり、延寿派の特徴とされています。

 刃文は、直刃調に浅く湾れ、小乱れや小五ノ目が混じるものや、物打より帽子にかけての二重刃が見られ、これらは延寿派の見所といえます。帽子も見所の一つで、丸みが際立ち、返りが浅いものや、焼き詰めたものの両様があります。いずれにしても、来派の作品より地刃に冴えが足りず、匂口もふっくらとせずに沈み心で、刃中に働きの少ないこれらの作風の特徴を鑑定用語で、「京物の片輪」といいます。これは来物に見えて来物にあらず、と言ったところでしょう。

 延寿派の作品には、非常に彫物が多いことも特徴で、棒樋、添樋、連樋、梵字、護摩箸、素剣、神仏記号などがあります。茎は先栗尻で、鑢目は切りか勝手下がりで、銘は太刀では目釘穴の上に、短刀では目釘穴の下に、一部の刀工を除いて、多くは細鏨に二字銘に切ります。
 裏年紀は、南北朝時代中頃までは南朝年紀ばかりですが、その後は北朝年紀も見られます。これは主家の菊池氏が、南北朝合一後に、肥後国守護職になったことに関係があるように思います。

 恒例の余談ですが、末延寿と呼ばれる応永以降の作品に、皆さんご存知のとおり、「菊池槍」と称するものがあります。寸法は5〜6寸程度のものと、1尺前後ものとの2種類があり、長い方を数取りといい、その本数で士卒が何人いるのか解るようになっていたと言われています。この槍の形状は鵜首造り又は平造りの短刀の茎を長くしたもので、槍として使用され、菊池千本槍の異名があります。
 いつの時代から製作されたのか、その起源は不明で、一説には南北朝時代の正平十四年の筑後川合戦の折、菊池武光が士卒に命じて、短刀を竹竿の先端に括りつけて、槍の代用にしたのが始まりとか。
 また、地元に伝わる逸話では、菊池のお殿様から、千本の槍の鍛造を命ぜられた延寿鍛冶が、二匹の鬼を使って一夜に打ちあげたのが始まりとあり、その延寿鍛冶の屋敷跡には鬼水という井戸があって、その井戸は鬼が掘ったとの伝承があり、真っ赤に焼けた鉄を飴細工を扱うかのように素手で槍の形に作り、その井戸の水で淬刃したとあります。

 刀剣情報誌に売品として出品される頻度も少なく、過去に、「刀和」で一度だけ見た記憶があります。菊池槍は、実用本位の大量生産品で、地刃ともに粗末なものが多いと聞いていますが、価格が安くて出来の良いものでしたら一口是非にと思います。

 今回の入札では個銘あたりが1名おられましたが、これには全くの脱帽です。入札所見の中に延寿派までは解りましたが個銘まではとのコメントがありましたが、私も同様に感ずるところです。 
 
 また、古三原の札がありましたが、時代や位取りなどを勘案すればとても良い札と思いますが、入札コメントがありませんでしたので、どのようなプロセスで古三原と入札されたのかは解りません。

 それでは、この辺で失礼します。次回をお楽しみに。
       
                                竹 屋 主 人