2010年10月31日 第8回出題「當麻友行」


 今回の答えは在銘の「當麻友行」の短刀でした。

 大半の方が一の札で「當麻」に入札され、いつもながら入札者各位の見識の高さを窺わせる結果となりました。一部の札に「尻懸(則長)」の札が散見されましたが、これとて「当同然」と言っても良いでしょう。今回、個銘当りはないものと思っていましたが、ずばり個銘当りの方が若干名おりまして、絶佳の一言に尽きます。

 皆さんご存知のとおり、大和鍛冶の起源は古く、奈良県内の古墳出土の遺物や東大寺正倉院の収蔵品に、その源流を窺うことができます。また、文献によれば、初期日本刀で名物「小烏丸」の作者とされる天国や、その子の天座などが古い大和鍛冶として知られています。

 鎌倉時代中期頃より大和国内に、所謂大和五派と呼ばれる鍛冶集団が勃興し、隆盛を極めることになります。大和物の製作地を流派ごとに区分すると、奈良市中では手掻と千手院の両派、大和盆地の東側に尻懸派、西側には當麻派、中央では保昌派が栄えました。ただし、千手院派は他派より発祥の起源は古く、なかでも千手院と三字銘のある重要美術品で東京国立博物館蔵の太刀は、鎌倉初期を下らないと指摘されています。

 大和鍛冶は、東大寺と興福寺の二大寺院を始めとする諸寺院に御用鍛冶として抱えられ、各寺院の専属僧兵の需めに応じて作刀を行っていました。そのため、他国の鍛冶とは違い、流通を目的としないため、在銘作が少ない理由のひとつとされています。大和物の特色は、実用重視の武器として、あるいは仏に奉仕するための仏具としての性格を持ち合わせているのではないでしょうか。華美にならず、剛健実直な風合いを強く感じさせます。

 太刀の造り込みは豪壮で、鎬が高く鎬幅が広く、地鉄は板目が流れるか柾目となり、特に當麻派の柾目は、地の中央付近に顕著に現れるのを掟としています。大和物の沸は相州物についで強く、なかでも當麻派の作品は、激しく沸づいて金筋を伴い、一見相州物と見えるものがあります。古来よりの刀剣鑑定において、「相州行光」と見て「否」ならば、「當麻」と見よ。との格言がある位です。

 短刀は無反で重ね厚く(とにかく分厚く感じます)、平肉のついたものを見ます。また大和物には、冠落造りの短刀が多く見られることも特筆されます。地鉄は太刀よりは柾目が顕著になり、板目が流れてもどこかに柾気を見出すことができます。 太刀では横手下付近で柾目が強くなり、棟の方へと伸びる感じになりますが、これを鑑定用語で「當麻肌」と呼び、この派の特徴としているようです。 

 刃文は太刀、短刀ともに直刃調に五ノ目や湾れ乱れが交じり、全体的に穏やかな刃文となり、ほつれ、打除け、食違刃、砂流し、掃掛けなどの刃中の働きが豊富となります。
帽子は太刀、短刀ともに焼詰めるものが多く、帽子が浅く返る場合は、その先端に掃掛け状の態が良く見られ、帽子が小丸に深く返る場合、先が沸崩れるものもありますが、これらも當麻派の見所とされています。

 今回は「當麻友行」の在銘短刀でありますが、鑑定においては鎌倉後期の大和物と判断して頂ければ幸甚です。
 また、個銘当たりの方には、その回答までのプロセスについて、ご教示願えればと思料します。
          
                            竹 屋 主 人