2012年2月29日 第12回出題「備前長船元重」


 今回の答えは、「備前長船元重」の短刀でした。
 同然の返答が多かったなかで、唯一1名の方が個銘当りを取られ、その見識の高さに敬意を表します。

 元重の年紀が40年とも60年ともいわれるほど長く、一代説や二代説、はたまた、古元重などの刀工の存在など、話題豊富な刀工であります。
 今現在、判明している年紀作の最初期のものとして、正和・嘉暦の年紀のある短刀が知られています。
 中に、元亨三年年紀のものに、「備前国長船住大蔵尉元重造」と切ったものがあります。
 前述の正和・嘉暦年紀の短刀は、兼光にみる片落ち五ノ目を焼き、古書によれば、元重の作風が兼光に似るとあることから、今回の出題刀に合致します。
 仮に二代説を取るとすれば、初代を長船守重の子とし、二代目を備前真光の養子とする説があります。
 たしか、真光も片落ち五の目を焼く刀工だったと記憶しますが、ここでは割愛させて頂きます。

 また、貞宗三哲として知られていますが、面白いエピソードがあります。
 それは貞宗との出会いですが、貞宗が摂津の有馬温泉に来遊中に元重がそこへ出掛け行き、師弟の契りを結んだということですが、おそらく後代の作り話でしょう。
 元重の刀は古来よりその切れ味において定評があり、かの山田浅右衛門も最上大業物に列挙しています。
 また、「鮭切り」と異名のある太刀や、豊臣秀吉の軍師竹中半兵衛重治の佩刀「虎御前」や滝川一益の佩刀も元重だったと言われています。

 さて、今回の問題を振り返ってみましょう。
 まず、鍛えに、「小板目肌流れごごろ」とあります。
 まずもって、「備前正系」の作品に鍛えが流れるということはありません。
 「肌が流れる」、言い換えれば「柾気」がある。
 すると鑑定の掟として「備前に柾なし」というのがあり、これに違反します。
 しかしながら、この掟を破る刀工が少なからずいます。
 その筆頭が、「元重」なのです。
 諸書によれば、元重の鍛え肌の説明には杢目に柾まじりとし、映りは、「雨露」と言って映りの部分に黒みが掛かるものがあるとしています。

 さらに、刃文をもう一度良く御覧下さい。
 片落ち五の目が、「景光・兼光」のそれと比べて間が伸び、なんとなく雑な感じがしませんか。
 このことを知っているだけで、後は熟考すれば、「元重」への入札も可能ではないでしょうか。

 今回は柴田先生のご配慮で、「景光・兼光」等への入札はすべて、「同然」となりましたが、厳しい鑑定会などでは「能」もしくは「準同前」という返答になるでしょう。

 今回、初参加の方で「同然」の返答にも拘わらず、最後まで入札を希望された方が居られました。
 その熱意には、脱帽です。
 点数に関係なく、どんどん入札して下さい。
 私も、まだまだでございます。これからも、ご一緒に勉強して参りましょう。

 今期一年間のご愛顧、ありがとうございました。

                         竹  屋  主  人

私の見方

千手院義弘氏
答え 長船 元重。 体配・沸づく刃文などから、行き着きました。


悪勘兵衛氏
電脳鑑定倶楽部の過去問にもありましたが、鎌倉末期の短刀の体配。板目肌流れ、地形はいる、乱れ映り、片落ち具の目。
このあたりで景光か兼光かと。
元重は資料が無いのですが、鍛え肌が柾目とか帽子が虎の尾とかだというので除外。景光と兼光のどちらかと言えば、景光は鍛えが精緻で肌立つものが少なく、帽子も乱れ込むものが少ないということから兼光の初期の作かと。帽子が乱れ込み、乱れ映り、地景が入るなど兼光的な特徴かと思われます。

(本当に惜しい考察でした。次回頑張って下さい。)