2011年9月1日 第6回出題「和泉守兼定」


 今回の答えは、和泉守兼定でした。

 入札では兼房と和泉守兼定(之定)に分かれましたが、同時代の関物に関してはすべて「同然」となります。
 今回の入札所見の中に、簡潔に特徴をとらえ入札のプロセスが良くわかるものがありました。

 之定はこの時代の備前の祐定、伊勢の村正とともに愛刀家の間では垂涎の的となっています。
 しかしながら、現在の不況下では売品として出てくることがなくなり、欲しくても入手するのが困難な状況であります。
 私の場合は、その前に先立つものがありませんが。

 余談はさておき、之定の生年は詳らかではありませんが、初代兼定の門人で後に養子となり、吉右衛門と称し天文五年三月一日没、法名を、「専海浄正居士」と伝えています。

 作刀の初期には初代同様に楷書で、「兼定」と切銘していましたが、現存する作品から明応八年以降、「之定」に転じたことが知られています。
 彼の作刀期間は長く、文明から大永まで年紀作があり、それを調べると、ざっと、約五十五年間という数字が導き出せます。
 特に彼の銘振りには特徴があり、「新刊秘伝抄」という刀剣書によれば、「銘ノ悪ヲ正真トス」とあるように、銘字は不揃いで、かつ筆脈が乱れ、よれた感じがするもので、決して達筆の範疇に入る書体ではありませんが、作品自体は当代随一と言っても過言ではないと思います。

 彼の和泉守受領の時期については諸説があり、永正元年とする記述のある刀剣書がありますが、現存する作品は今のところありません。
 日刀保の元たたら課長であった鈴木卓夫氏の研究によれば、之定の受領時期を永正三年以降、同六〜八年の間としています。
 
 彼の五十有余年の作刀人生のなかで特筆されるひとつに、伊勢山田への出向があります。
 現存する作品から永正十二年、永正十四年などの年紀とともに、「於伊勢山田是作」等の添銘のあるものが現存しています。
 また、この時に伊勢神宮に関係ある者、例えば神職にある人から依頼があったのか年紀はありませんが、茎のハバキ元に、「菊紋」を切り添えたものが現存しています。
 いずれも資料的価値は高く、見識者や愛刀家の間で珍重されています。

 彼の作品には、常の末古刀然とした先反りのある打刀、脇差等が主流となりますが、例外的に身幅広く、鎬を高くして棟が薄く、切っ先が伸びたものがあります。
 この手のものは、備前の祐定にもあります。
 之定の場合鉄の鍛えは良いし、映りも白け映りではなく、鮮明なものがありますので、鑑定入札の際には粗見しないように注意が必要です。

 地鉄は板目に柾が混じり少々粗くなるものと、小板目が詰んで地沸が豊富につき、山城伝の上作に見間違う程に綺麗なものがあります。
 映りも関の白け映りと称されるボーと白けた映りではなく、本場備前の乱れ映りを彷彿させるものがあることを付け加えておきます。
(故永山光幹先生の著、「日本刀を研ぐ」に、師である光遜先生の若き頃の出来事の中に、備前一文字か之定か入札で苦慮されている記事があります)ご参考までに。

 刃文は、大きく2種類に分類することができます。
 ひとつは、今回出題のような兼房風の丸みのある坊主頭に尖り刃を交えたもの、もう一つは矢筈混じりの大乱れで志津風のものに大別されます。
 なかには孫六兼元同様な三本杉状や、細直刃の作品で鎌倉時代の来国俊に見紛う作品があることは周知のとおりです。
 茎は刃上がり栗尻のものが多く、剣形もあります。
 鑢目は刀、脇差では鷹の羽が多く、短刀は桧垣となります。
 彫り物は、棒樋程度で凝ったものは見ません。

 今回は末関の名工之定でした。
 恒例の余談ですが、之定と切銘する刀工は、今回出題の刀工以外にも複数いることが徐々に解明されつつあります。
 初代兼定にも之定と切ったものがあると言われ、「土屋押形」に「康正丁丑八月日」の裏銘がある之定がこれに該当すると言われています。
 また、天文年紀のある、「別人之定」と言われる刀工の作品も現存することから、これらを一概に偽銘などと片づけることはできないと思料します。

 そもそも関鍛冶は血縁や子弟関係、衣食住に関する結束力が強く、関鍛冶千軒などと言われ、その縦横の関係は関七流と呼ばれる七頭体制による合議によって繁栄したと言われています。
 その反面、個々の鍛冶の特色は見いだせず、切銘も、「兼」の字を通字としていることから、入札鑑定に際して末関鍛冶が出題されたとき、「関兼○」と入札すればすべて同然となる所以でもあります。

 それでは、今回はこの辺で失礼いたします。

 読者の見方

H氏
 地蔵帽子、白け、尖り刃混じりの関丁子、美濃伝は外せないと思います。
 兼元、兼定、兼房が考えられます。兼元は焼き刃の狭い部分が刃先に抜ける特徴がどこかに現れるので該当せず。どことなく兼房乱れっぽいところも見受けられますが、兼房の現存品は永禄あたりのものが多く、先反りがあり大振りとなるのと、地鉄が頗るつむとあるので兼定。

※なかなか的を得た所見ですね。「地鉄が頗るつむ」と前述した刃文の二大特徴を押えれば、之定への入札も可能かと判断いたします。

                               竹   屋   主   人