2011年10月1日 第7回出題「奥大和守元平」


 今回の答えは、奥大和守元平でした。

 ヒントや押形から、薩摩新々刀への入札が圧倒的で、良い結果となりました。
 薩摩国は、新刀期に主水正正清や一平安代などの名工を輩出しましたが、更に幕末期には、奥大和守元平や伯耆守正幸などの出現や、古刀期以来の波平一派も僅少ながら名跡を継いで、薩摩国独自の伝統を堅持して隆盛を保っていました。

 元平は、父元直の嫡子として延享元年に生まれ、孝佐衛門と称し、父元直のもとで鍛刀の技術を学び、次第に上手の噂が広がり、安永六年に、「薩藩臣奥元平」と切銘を許され、寛政元年十二月一日に、「大和守」を受領し、文政九年八十三歳で当時としては稀にみる長寿で没しました。
 元平一門には、弟元武、元安、子には元寛、孫の二代目元平などがいて、また、一門の通字として、「元」の字を使用しているなど、一門の繁栄ぶりが窺えます。

 薩摩刀は、新刀、新々刀期を通じて作風の大きな変化はなく、全国的に流行した時代の姿はなく、慶長新刀の体配に近いものが多く製作されています。
 従って、江戸や大坂物などの様に新刀と新々刀を画一的に区分することは難しく、織豊期以降の薩摩の刀と捉えて頂くことが、薩摩刀を鑑定する際の要訣であり、最終的には茎の形状や鑢目などから、製作者や製作時期の編年を区分することが可能となります。

 以前、伯耆守正幸や一平安代の解説時に、薩摩刀の特徴を多少なりとも説明しておりますので、今回改めての解説は割愛させて頂きますが、薩摩刀の体配や地鉄・刃文などの特徴を熟知していれば、入札鑑定時に最低でも国入り能は取れると思います。
 先ずは、実際の鑑定会や紙上鑑定などで経験を積むことが重要でしょう。
 入札鑑定のルールで、新刀の刀工に新々刀の刀工を入札した場合、または逆の場合「時代違い」になりませんので、薩摩刀の場合は国入りさえすれば二札目、三札目には「当」若しくは「同然」の答えが必ず返ってくると思います。

 今回の元平は、同時代の正幸と何かと比較されていますが、姿は慶長新刀体配をベースに物打ち下部付近から切先にかけての身幅を細めにして、反りを高めに鎬幅を狭く造りこみ、平肉を落として重ねを薄くするのを特徴としています。
 正幸の場合は、身幅広く重ねが厚く切先の伸びたもので、慶長新刀を彷彿させるような体配を特徴としています。

 また、鑑定刀の出来により、元平と正幸は「当り同然」とすることがあります。
 刃文なども元平も正幸も同じ様な湾れに五ノ目乱れ交じりの刃文を焼きますが、元平の場合、この五ノ目乱れが揃いがちとなり、薩摩刀独特の尖り刃は正幸よりも少なくなります。
 さらに、直刃の作品では沸が更に厚くつき、沸の粒は数の子のような大きなものとなって現れます。
 これに連動するかのように、鍛え肌に板目に所々に大肌が現れて蜘蛛の巣状になるとともに鎬地が無地風となります。
 これを薩摩肌などと称して、鑑定の際の決め手としています。

 いずれにしても薩摩刀は沸が荒く、刃縁の沸が地にこぼれ、砂流し・芋蔓などが現れ、特に元平には釣り針と称されるものが見られ、尚且つ、匂い口がすっきりと明るいのを彼の作品の特徴のひとつとしています。
 元平の作刀における工夫は刀身だけではなく茎にもあり、ハバキ元から茎尻にかけて重ねを薄くして茎尻を尖った剣形としており、これなどは後世の偽造防止策などと言われています。
 銘は刀ではほとんどが太刀銘で切り、「奥大和守」銘の四字の場合は比較的小さく、「平朝臣元平」銘の場合は大振りになるのを掟としているようです。
 裏銘は、受領後に十二支に季節を加えて「寛政七卯秋」「享和二壬戌」などと切銘し、正幸の場合は年紀を十干十二支で「文化二年丑二月」などと切銘しています。
 それにしても、両者ともに風流で学識の高さを窺える刀工ですね。

 今回は薩摩新々刀の名工、奥大和守元平でした。
 それでは今回は、この辺で失礼させて頂きます。

                             竹   屋   主   人
 私の見方

Y氏
正幸得意の樋が無いのと、一応裏銘を年期と見立てて五文字(寛政五丑秋とか)という点に着目し奥大和守平朝臣元平と判断しました。

H氏
 まず薩摩刀は外せないところです。
その中でねっとり無地なので新々刀、慶長新刀に反りを加えたような
独特の姿、奥元平だと考えます。鑢目、茎尻の形状も合致すると思います。

K氏
 姿から新々刀。沸え付いた尖り刃、芋づるのように入る地景と金筋、茎の特徴から薩摩相州伝。出題に刀か太刀か触れていませんが、太刀銘と見て「奥大和守元平」と見ました。